日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウニベルズム映画」の意味・わかりやすい解説
ウニベルズム映画
うにべるずむえいが
Universum-Film Aktiengesellschaft AG
第二次世界大戦前に世界に名を馳(は)せたドイツの大映画会社。略称はウーファ(Ufa)。1917年12月、政府や財界から資金援助を受けて開業。ベルリン南西部のバーベルスベルクに広大な撮影所を有した。製作、配給、興行の三業務を行い、始めは国の管理のもと、国民の教育や国の宣伝を活動目的としたが、第一次世界大戦後は国家の手を離れ、商業映画の製作で国際的に知られるようになった。『パッション』(1919)や『デセプション』(1920)などの歴史劇や、『最後の人』(1924)、『ファウスト』(1926)、『ニーベルンゲン』二部作(1924)、『メトロポリス』(1927)、『ヴァリエテ 曲芸団』(1925)など、数多くの無声映画史上の名作を生み出し、ドイツ映画の黄金時代を築いた。しかし、1920年代中ごろから製作費の高騰やハリウッド映画の進出などにより経営が悪化し、栄光に翳(かげ)りがみえ始める。1930年代に入ると、『嘆きの天使』(1930)、『会議は踊る』(1931)など、トーキー初期の佳作を放ったものの、ナチ政権の誕生で低落傾向に拍車がかかり、1937年、政府に買収されて事実上国有となった。1945年、第二次世界大戦が終結すると活動を停止し、広大な撮影所は、当時のドイツ民主共和国の国立映画企業「デーファ」(DEFA)に引き渡された。以降、さまざまな変遷を経ながら、ウーファという名は引き継がれて残っていくが(現在の社名表記はUFA)、巨大映画企業としては、このとき歴史の表舞台から消え去ったのである。
[奥村 賢 2022年6月22日]
『クラウス・クライマイアー著、平田達治・宮本春美・山本佳樹・原克・飯田道子・須藤直子・中川慎二訳『ウーファ物語――ある映画コンツェルンの歴史』(2005・鳥影社)』