日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウーマック」の意味・わかりやすい解説
ウーマック
うーまっく
Bobby Womack
(1944―2014)
アメリカのソウル・ミュージック・シンガー、ソング・ライター。オハイオ州クリーブランド生まれ。多くの黒人シンガーと同じように、ゴスペル音楽の影響下で育ち、黒人ボーカルの味わいをロック・ミュージックへ移しかえることに成功した。
兄弟によって構成されたゴスペル・グループ、ウーマック・ブラザーズで幼いころから活動し、これがきっかけとなり、当時破竹の勢いだったサム・クックと知り合うことになる。グループもこのときにクックのレーベルと契約し、バレンティノスと名前を変えて、世俗的なリズム・アンド・ブルースを歌うことで人気を得た。
バレンティノスの人気の原動力の一つが、ウーマックが書いた「イッツ・オール・オーバー・ナウ」(1964)などの作品だった。「イッツ…」は、そのあと、まだ新人バンドだったローリング・ストーンズによってカバーされ、これがイギリスでヒットチャート1位になる。作者であるウーマックは一躍注目される存在になった(ストーンズとの長い親交は、これをきっかけとしている)。
しかし同じ1964年、人生最大の師であったクックが射殺されたことをきっかけにして、グループもウーマックも迷走状態に入っていく。1960年代後半からのウーマックは、ギタリストとしての腕を買われ、レイ・チャールズやアレサ・フランクリンといったソウル・ミュージックの大物の下で働き、同時に作品を彼らに提供するようになった。当時の作品としては、ウィルソン・ピケットが歌った「アイム・イン・ラブ」が有名である。
ウーマックによる情熱的な作品はソウルだけでなく、アメリカのロック・シンガーにも注目され、ジャニス・ジョプリンには「トラスト・ミー」を提供。また同時期、自らが歌った「ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール・アバウチャ」(1971)でもヒットを飛ばした。ブラック・シネマ(1970年代にさかんに作られた黒人スタッフを中心とする黒人のための映画)の代表作としても知られるバリー・シアーBarry Shear(1923―1979)監督の映画『110番街交差点』(1973)のテーマ・ソングも有名で、この曲はクエンティン・タランティーノ監督の映画『ジャッキー・ブラウン』(1997)でも使われリバイバル・ヒットしている。しかしヒット・ソングとしてもっとも有名なのは、ジョージ・ベンソンの世界的なヒット「ブリージン」(1976)である。
1980年代、黒人音楽が大きく様変わりした時期に、『ザ・ポエット』The Poet(1981)など、これまでのキャリアを集大成したアルバムを発売し、オーソドックスな黒人ボーカルの真髄を聞かせ、日本でも話題となった。1999年には、初めてのゴスペル・アルバム『バック・トゥ・マイ・ルーツ』Back to My Rootsを発売した。
[藤田 正]