日本大百科全書(ニッポニカ) 「エストラダ」の意味・わかりやすい解説
エストラダ
えすとらだ
Joseph Ejercito Estrada
(1937― )
フィリピンの政治家。政治家以前は映画俳優であった。アメリカから独立後の第9代大統領。1937年4月、マニラ市の下町トンド地区で技師エミリオとマリアの9番目の子供として生まれる。兄弟は医師、弁護士などの専門職に進んだが、エストラダ本人はアテネオ・デ・マニラ大学中退後、20代そうそうに映画界に入り、100本以上のアクション映画に出演する。タガログ語で「相棒」を意味するパレpareを逆転させた「エラップ」Erapの愛称で大衆の人気を博し、5回の最優秀男優賞を受賞。1969年から政界に転じ、マニラ首都圏サン・フアン区長に就任。1972年最高区長賞を受賞したが、1986年マルコス失脚の渦中に解任された。1987年上院議員に当選。1991年自由党のサロンガJovito Salonga(1920―2016)と離反し、「フィリピン大衆党(PMP)」を結党。1992年の大統領選挙に際して、コファンコEduardo Cojuangco(1935―2020)を大統領候補とした「民族主義者国民連合(NPC)」の副大統領候補として出馬し、当選(コファンコは、ラモスに敗れて落選)。1992年6月副大統領に就任。大統領犯罪対策委員会(PACC)委員長として凶悪犯罪撲滅に成果をあげ、国民の高い支持を維持した。
大統領選挙を翌年に控えた1997年、PMPとNPCはアキノ政権時の与党「フィリピン民主の戦い(LDP)」と連合して「愛国的フィリピン民衆の戦い(LAMMP)」を結成(翌1998年フィリピン大衆の戦い=LAMP、1999年フィリピン大衆連合=LAMPに改組)。エストラダを大統領候補、当時LAMMP総裁のアンガラを副大統領候補として決定した。これに対抗してラモス政権与党「エドゥサの力(LAKAS、ラカス)」は、下院議長のデベネシアを大統領候補に、元大統領マカパガルの長女である上院議長アロヨGloria Macapagal Arroyo(1947― )を副大統領候補に擁立した。1998年6月の大統領選挙には、11人の大統領候補、9人の副大統領候補が乱立したが、大統領には俳優時の知名度でエストラダが当選した。また、副大統領にはアロヨが当選し、毛色の異なったコンビでの政権が誕生した。
アクション・スター出身の大衆政治家としてのエストラダは、強烈な個性をもっていた。それらは、大統領就任宣誓式は歴代大統領に倣ったリサール公園ではなく、アギナルド将軍が革命議会を召集したバラソアイン教会で行ったこと、就任演説は歴代大統領のように英語ではなくタガログ語で行ったこと、そしてなによりも「貧困層のためのエラップ」というスローガンに象徴され、俳優時代の役柄である「正義の無頼漢」というイメージを反映して、下層大衆の圧倒的支持を誇った。しかし、経済政策や外交面での手腕について、知識人や財界からは疑問をもたれた。
2000年10月、エストラダに対する汚職や横領の疑惑が浮上、12月から弾劾裁判が始まった。こうしたなかフィリピン国軍参謀総長をはじめとする政権幹部の離反・辞任が相次ぎ、2001年1月、エストラダ自身も辞任に追い込まれた。
[黒柳米司]