ラモス(読み)らもす(英語表記)Fidel V. Ramos

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラモス」の意味・わかりやすい解説

ラモス
らもす
Fidel V. Ramos
(1928―2022)

フィリピン軍人、政治家。1928年ルソン島パンガシナン州リンガエン生まれ。イリノイ大学で土木工学修士号取得。アメリカ陸軍士官学校卒業。1950年フィリピン国軍入隊。1968年マルコス大統領軍事顧問に就任、翌1969年軍参謀次長を経て1972年国家警察軍長官。1986年のピープル・パワー革命(二月革命)に際しては当時国防相のエンリレJuan Ponce Enrile(1924― )とともに反マルコス派の先頭にたち、マルコス失脚に道を開いた。その後、コラソン・アキノ政権下で国軍参謀総長を経て、1987年大統領アキノに離反して解任されたエンリレの後任として国防長官に就任。1991年アキノ政権下最大の与党「フィリピン民主の戦い(LDP)」に入党したが大統領候補指名に敗れ離党。自らの支援組織「エドゥサの力(LAKAS(ラカス))」を結成。1992年アキノの後継指名を受け大統領選に出馬。得票率23.6%という接戦をものして当選、アメリカから独立後の第8代大統領となる。

 大統領就任に際し、「強力なリーダーシップ」を強調したラモスの業績は三つの分野にまたがっている。第一に、フィリピンの早期のNIES(ニーズ)(新興工業経済地域)入りを目ざす「フィリピン2000」構想を掲げ大胆に経済自由化・規制緩和・開放政策を推進し、就任時にはゼロ成長であったフィリピン経済を4年間で国内総生産(GDP)6%台の成長にまで引き上げるのに成功したこと、第二に、貧者への配慮・よき統治・環境保全などの「社会改革アジェンダ」を設定、任期中に貧困率を30%に削減する目標を掲げたこと、そして第三に、国軍右派、共産ゲリラ、イスラム分離主義という三大反体制勢力との和解交渉を推進したことである。こうした実績にもかかわらず、1987年制定の新憲法は大統領職を再選禁止、1期6年に限定しており、1997年ごろよりラモス派内から憲法を改正して再出馬を目ざすという構想も浮上したが、アキノ元大統領やシン枢機卿(すうききょう)Cardinal Jaime Sin(1928―2005)らの反対で阻止され、1998年退任した。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラモス」の意味・わかりやすい解説

ラモス
Ramos, Fidel

[生]1928.3.18. リンガエン
[没]2022.7.31. マカティ
フィデル・ラモス。フィリピンの軍人,政治家。大統領(在任 1992~98)。フルネーム Fidel Valdez Ramos。フィリピンの民主化の立役者の一人で,同国史上最も有能な大統領の一人と評価されている。
ニューヨーク州ウェストポイントのアメリカ合衆国陸軍士官学校とイリノイ大学で教育を受ける。1950年フィリピン軍に入隊,朝鮮戦争とベトナム戦争に従軍。1972年,またいとこにあたるフェルディナンドマルコス大統領に国家警察軍司令官に任命され,同年暮れにマルコス大統領が戒厳令を施行すると,何千もの反体制派を逮捕した。1981年国軍参謀次長に就任。1986年2月の大統領選挙で大規模な不正が行なわれたにもかかわらずマルコス大統領が勝利宣言したため,フアン・ポンセ・エンリレ国防大臣とともに対立候補のコラソン・アキノの支持にまわった。二人の離反はピープルパワー革命(エドゥサ革命)を引き起こし,マルコスに亡命を余儀なくさせた。アキノ政権下の 1986~88年に国軍参謀総長,1988~91年に国防大臣を務め,相次ぐ国軍の反乱を鎮圧した。
1992年5月に大統領に選出され,国家警察の汚職を一掃,また人口増を抑制するため家族計画を奨励し,保護主義的なフィリピン経済の自由化を推進した。任期半ばで政権の信を問う 1995年の議会選挙で勝利を収めたのちは国民和合に努め,長年政府と対立してきた共産主義ゲリラ組織新人民軍 NPA,イスラム分離主義組織モロ民族解放戦線 MNLFと和平合意に達した。一方,ひと握りの企業に支配されていた主要産業の規制を撤廃し,非効率的な徴税制度の改善に尽力した。これらの諸改革はフィリピン経済を長年の停滞から脱却させ,1994年から 1997年にかけてフィリピンは飛躍的な成長を遂げることになった。1997~98年に東南アジア全域を襲った深刻な経済危機も乗り切ることができた。1998年6月,1期 6年に制限されている任期を終えて退任した。

ラモス
Ramos, Graciliano

[生]1892.10.27. ケブラングロ
[没]1953.3.20. リオデジャネイロ
ブラジルの作家。1930年代にブラジルの北東部で生まれた作家グループ(ジルベルト・フレイレ,ジョルジェ・アマードら)の代表者の一人。アラゴアス州奥地で幼年時代を過ごし,正規の教育は受けず,父親の店で働きながら学んだ。1928年市長に選ばれたが,その報告書が表現の完璧さで有名になり,文学者としての道が開かれた。その後公衆教育局長に任命されたが,政治問題に巻き込まれ,1936年共産主義者の容疑で投獄された。1937年釈放され,リオデジャネイロに定住し,新聞界で活躍。1945年ブラジル共産党に入党,1952年社会主義諸国を訪問。作品は死後ようやく価値を認められたが,特に北東部の干魃を扱った『ひからびた生』Vidas sêcas(1938)は有名。ほかに『カエテー族』Caetés(1933),『サン・ベルナルド』São Bernardo(1934),『苦悩』Angústia(1936),短編集『不眠』Insônia(1945),回想録『監獄の思い出』Memórias do cárcere(4巻,1953)。

ラモス

「サクダル運動」のページをご覧ください。

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