現代外国人名録2016 「エフードバラク」の解説
エフード バラク
Ehud Barak
- 職業・肩書
- 政治家,軍人 元イスラエル首相,元イスラエル労働党党首
- 国籍
- イスラエル
- 生年月日
- 1942年2月12日
- 出生地
- パレスチナ・ミシュマル・ハシャロン
- 学歴
- ヘブライ大学(物理学・数学)〔1968年〕卒,スタンフォード大学大学院(経済工学)〔1978年〕修士課程修了
- 学位
- M.B.A.(スタンフォード大学)〔1978年〕
- 経歴
- 独立前のパレスチナ中部のキブツ(集団農場)に生まれる。1959年イスラエル国防軍に入隊。’67年第3次中東戦争、’73年第4次中東戦争、’82年レバノン戦争に参加。’83年軍情報局長、’86年中央軍管区司令官、’87〜91年参謀次長、’91〜94年参謀総長を歴任。’95年7月ラビン政権下で内相、’95年11月〜’96年ペレス内閣で外相。’97年6月労働党党首に就任。’99年5月首相公選でネタニヤフを破り当選、同年7月首相兼国防相に就任。2000年8月相次ぐ連立与党の離反により外相、内相他多数の閣僚ポストを兼任。同年10月中東和平緊急首脳会談で、パレスチナ自治政府のアラファト議長と会談し、暴力行為の停止や、衝突の真相究明のための調査委員会の設置などで合意する。2001年2月首相公選で右派リクードのシャロン党首に大敗し、3月退任。2007年6月労働党党首に復帰。2009年3月ネタニヤフ政権で副首相兼国防相に就任。2011年労働党は連立政権から離脱。労働党を割って新党を結成し、自身は内閣に留まった。2013年3月政界を引退。哲学書を愛読し、ピアノの名手としても知られる。1973年にベイルートでパレスチナ過激派を射殺した時は金髪のかつらで女装したというエピソードもある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報