エリセーエフセルゲイ(その他表記)Eliseev Sergei Grigorievich

20世紀日本人名事典 「エリセーエフセルゲイ」の解説

エリセーエフ セルゲイ
Eliseev Sergei Grigorievich

07の日本学者 元・ソルボンヌ大学高等研究院教授;元・ハーバード大学教授・イエンチン研究所所長。



国籍
フランス

生年
1889年1月13日

没年
1975年4月13日

出生地
ペテルブルク(ロシア)

別名
日本名=英利 世夫

学歴〔年〕
ラリンスキー大学(ロシア)〔’07年〕卒,ベルリン大学附属東洋語学院〔’08年〕卒,東京帝大文科大学国文科〔’12年〕卒,東京帝大大学院国文学専攻〔’14年〕修了

主な受賞名〔年〕
レジオン・ド・ヌール勲章〔’46年〕,勲二等瑞宝章〔’69年〕,国際交流基金賞〔’74年〕

経歴
ロシア人で、西欧におけるジャパノロジー(日本学)の始祖。フランス風にSerge Elisseeffとも綴る。豪商エリセーエフ兄弟商会の次男に生まれる。少年時代から東洋文化に惹かれ、ベルリン大学で出会った言語学者・新村出らのすすめで1908年来日、東京帝大に英利世夫の名で入学、上田万年、芳賀矢一らに師事。また同窓漱石門下の小宮豊隆らと親交、漱石の木曜会に出席、董陶をうけた。’14年ロシアに帰国後ペトログラード大学の日本語講師、助教授、美術史学院助教授、東洋研究所日本部長など務めるが、ロシア革命で投獄され、’21年パリに亡命。この間の苦渋をのちに「赤露の人質日記」として日本語で出版。’22年ソルボンヌ大学講師、’29年パリ日本館初代館長、’30年ソルボンヌ大学高等研究院講師、’32年教授。この間’31年フランスに帰化、雑誌「日本と極東」の編集に携わり谷崎潤一郎志賀直哉永井荷風などを翻訳、日本紹介を活発に行った。’32年ハーバード大学の東洋語学部長として招聘され、’34年東洋語部教授兼ハーバード・イエンチン研究所所長に就任。E.ライシャワー、J.ホールら著名な日本研究者を育てた。’57年ハーバード大を辞して帰国、ソルボンヌ大高等研究所研究員として近世日本文学の講義を担当した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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