改訂新版 世界大百科事典 「オアハカ文化」の意味・わかりやすい解説
オアハカ文化 (オアハカぶんか)
メキシコ,オアハカOaxaca州を中心に展開したサポテカ文化とミシュテカ文化をいう。サポテカ文化は,モンテ・アルバン遺跡を中心に,前7世紀ころオルメカ文化の影響を受けつつ誕生した。この初期サポテカ文化は〈踊る人〉と称する石彫からその性格の一部を知ることができる。この特異な浮彫にすでに棒と点による数表記と文字を組み合わせた碑文がみられること,ペルーのセロ・セチン遺跡の石彫との類似などは,この文化の重要性の一端を示している。2世紀ころになると,テオティワカンの進出に伴い,その影響下に活発な建設が始まり,より完成されたサポテカ文化が創造された。重厚な建築,地下墳墓群にみる豊かな副葬品,多くの神々の存在,より発達した文字と暦の体系など,より奥深い研究を必要とする文化である。900年ころになるとサポテカ文化は急速に衰え,かわってミシュテカ族が台頭してくる。ミシュテカ族は,伝承によると7世紀ころメキシコ中央部に新しい知識を伝えた,とされているが,その起源は謎に満ちている。11世紀になって,ミシュテカ族はオアハカ地方の政治的主導権を獲得し,15世紀のメシカ(アステカ)族による征服まで支配者の地位にいた。その間,サポテカ族は政治的に後退したとはいえ,壮麗なミトラの町を築き,スペインによる征服まで栄光を保ち続けた。一方,ミシュテカ族もまた華やかな文化をつくり上げた。絵文書様式といわれる多彩色の土器は各地で貴重視された。金,銀,銅の冶金術にも著しい発達をみせた。硬玉や水晶の細工も同様で,ミシュテカ族の高度な工芸技術を示すモンテ・アルバン7号墓の副葬品は有名である。また,ミシュテカ文化はメソアメリカ全土に影響を及ぼし,各地にその美術様式が広まった。15世紀後半からメシカ王国の征服活動がオアハカ地方に及び,ほぼ半世紀間の抗争ののちメシカ族はオアハカ地方のほとんどを支配下においた。
執筆者:大井 邦明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報