ライマン・フランク・バウムによるオズ物語の第一作。1900年刊。カンザスの草原から竜巻に巻き上げられて家ごと吹き飛ばされた少女ドロシーと小犬のトトを中心に、かかし、ブリキの木こり、気の弱いライオンが、さまざまのできごとに出会いながら、不思議の国オズに住む魔法使いを訪ね、ついにもとのカンザスに戻るまでの奇想天外な冒険の物語。19世紀後半になって現れ始めたアメリカ独自の児童文学作品の一つで、現在の評価はまちまちであるが、アメリカらしい野放図(のほうず)な明るさや、不思議な登場者や事件が新鮮な魅力となって、子供および大人の人気を得た。1902年のミュージカル化が成功。以来、繰り返し映画化された。バウムによる続編が13冊、他者(そのうちの1人は息子)によるもの26冊。デンスローとニールによる挿絵は、物語と不可分とされている。
[松野正子]
アメリカ映画。邦題は『オズの魔法使』。原題はThe Wizard of Oz。監督ヴィクター・フレミングVictor Fleming(1889―1949)。1939年作品。1930年代から1940年代にかけて、多くのミュージカル作品を製作し黄金期を迎えつつあった大手映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー社(MGM)が社運をかけて大予算を組み、カラー(テクニカラー方式)や特殊技術をふんだんに駆使して製作した代表作の一つ。ミュージカルに加え、「ごく普通の少女」が家族や日常から離れ、しゃべるライオン、踊るかかしなどの仲間たちとファンタジー世界を冒険するという物語構造は、現代映画で大ヒットの一つの要素とされる「ファミリーアドベンチャー」ジャンルにも通底する。主人公の少女ドロシーの台詞(せりふ)“We aren't in Kansas anymore”(ここはもうカンザスじゃない)のフレーズは、現代でもなお田舎や慣れ親しんだ場所から、都会や新しい環境に移った状態をさして、多くのアメリカの映画やテレビドラマ中の台詞で引用され親しまれている。1954年(昭和29)日本公開。
[堤龍一郎]
『佐藤高子訳『オズの魔法使い』(1974・早川書房)』
アメリカの児童文学作家ボームLyman Frank Baum(1856-1919)の代表作。1900年刊。大竜巻のためにカンザス州から空想の国マンチキンに飛ばされたドロシーが,ブリキのきこり,臆病なライオン,頭脳のないかかしとともに,オズの魔法使いを訪ねる冒険を語る。愛,勇気,知恵を探究する旅に当時のアメリカ人の理想が反映され,変化に富む筋のユーモラスな展開とあいまって,子どもたちに読みつがれている。この作品は39年ミュージカル映画化され,主題歌《虹のかなたに》はアカデミー主題歌賞を受賞。
執筆者:神宮 輝夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…アメリカのミュージカル史上最高の女流エンタテイナーの一人と評された歌手,映画女優。ボードビルの芸人の娘としてミネソタ州に生まれる。16歳でV.フレミング監督のミュージカル《オズの魔法使》(1939)に主演して主題歌《虹の彼方に》(オーバー・ザ・レインボー)を大ヒットさせ,アカデミー特別賞を受賞(これは1973年に《ペーパー・ムーン》のテータム・オニールが10歳で助演女優賞を獲得するまでは最年少受賞記録だった)。…
…アメリカの映画女優。〈世界一かわいい子ども〉として人々に愛され,〈その笑顔がアメリカに不況を切りぬけさせた〉とローズベルト大統領に感謝されたというほどの不世出の子役スター。 カリフォルニア州サンタ・モニカ生れ。母のすすめで3歳からダンスのレッスンに通ううちタレント・スカウトの目にとまり,幼児ばかりのキャストでヒット映画をパロディ化する1巻ものの短編《ベビー・バーレスク》シリーズに出演。数本の映画の端役をへて,レビュー映画《歓呼の嵐》(1934)で《ベビー・テイク・ア・バウ》を歌い踊って注目を浴び,つづく《可愛いマーカちゃん》(1934)で人気が沸騰,年末に封切られた《輝く瞳》(1934)ではタイトルの前に名まえが出され大スターの扱いとなった。…
※「オズの魔法使い」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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