カッシオドルス
Flavius Magnus Aurelius Cassiodorus
生没年:477か480-570か583
ローマの政治家,著述家。東ゴート族テオドリックの宮廷において,首席顧問として立法や同王朝とローマ人ひいてはビザンティンとの融和をはかり,後にボエティウスの後任として〈諸官僚の長magister officiorum〉に就くなど,政治家として活躍。同時にギリシア文化のイタリア土着化も推進。とくに540年ころ,南イタリアの南端スキュラケウム近郊,ペレナ川のほとりに図書館を付置した〈ウィウァリウム(養魚池)〉と称する修道院を設立,文献の収集・翻訳,写本の製作や修道士の教育をなし,中世修道院の学問活動の模範を提示した。著書《聖学ならびに世俗的諸学綱要》とくにその第2部は,〈自由学芸〉の構成が7科に定着し(自由七科),また聖書研究に多大の影響を及ぼした。
執筆者:野町 啓
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カッシオドルス
Cassiodorus, Flavius Magnus Aurelius
[生]490. 南イタリア,ブルッチウム,スキュラケウム
[没]585
ローマの歴史家,政治家,修道士。ゲルマン支配下のローマで 40年間要職につき,550年故郷に修道院を開いて隠棲した。作品は『演説集』 Orationes,『ゴート史』 Historia Gothica,アダムから 519年までを記述した『世界史』 Chronica,公文書を集めた『雑録』 Variae,宗教的学問と世俗的学問との関係を説いた,修道士のための手引『教育方法論』 Institutiones Divinarum et Saecularium Litterarum,『正書法について』 De Orthographiaなど。また教会史編纂や,古典文献筆写の事業を修道士たちを使って推進し,古典保存に貢献した。
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「カッシオドルス」の意味・わかりやすい解説
カッシオドルス
中世初期イタリアの政治家・キリスト教著述家。東方からイタリアに移住した古い家柄の生れで,とりわけ南イタリアで政治的に重きをなした名門の出身。初め東ゴート王テオドリックに仕え,要職を歴任。引退後,歴史,神学などの著作に専念。主著《年代記》《ゴート史》など。中世に古代の学問を伝えていく上で重要なかけ橋のひとつとなった。
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世界大百科事典(旧版)内のカッシオドルスの言及
【キリスト教文学】より
…フランスのボルドーに生まれた,ノラのパウリヌスも彼につづくすぐれたキリスト教詩人であるが,さらに優しい心情で聖フェリクス誕生の祝歌や,キリスト者の婚礼歌などをつくっている。 これにつづく5~6世紀は,帝国西部がゲルマン民族に攻略され,不安と騒乱に陥った時代で文学もまったく衰えたが,信仰の情熱は対比的にはげしくなり,アウグスティヌスの弟子である護教家オロシウスや,《神の統治について》などの著者サルウィアヌス,最もキリスト的な詩人といわれるセドゥリウスSedulius(470年ころ活動),散文では《[哲学の慰め]》で知られるボエティウスや,《教会史》を著作目録に含むカッシオドルスがあり,布教活動の面では,5世紀の教皇レオ1世ののち,ベネディクト会をはじめたベネディクトゥスと教皇グレゴリウス1世が特筆に値する。この3人はいずれも教義の確立や修道会の規制のため,説教,論説,書簡など多量の著述をもったが,ことにベネディクトゥスの〈修道会会則(ベネディクトゥス会則)〉は後世に大きな影響を与えた。…
【中世科学】より
…5世紀になると,それまで細々と伝わっていたギリシア・ローマの科学の伝統を集大成して,いわゆる〈四科quadrivium〉(幾何学,天文学,算術,音楽)の摘要書をつくろうという動きが生じてきた([自由七科])。そのようなものとして,マクロビウス,マルティアヌス・カペラ,カッシオドルス,ボエティウス,イシドルスらの著作が挙げられる。これらの内容は,まだそれほど水準の高いものではないが,中世前期において西欧知識人の基本的な科学的教養を培ったものとして重要である。…
【図書館】より
…なお,《ウルガタ》として知られるラテン訳聖書を確定したヒエロニムスは,ローマに教皇図書館を建てるときの立役者となっている。
[中世]
東ゴート族の王テオドリックに仕えたローマ人カッシオドルスは,アレクサンドリアのムセイオンをモデルに大学と図書館とを兼ねたようなものの建設を考えていた。しかしそれが実現するのは引退後の540年ころ,みずからウィウァリウムVivarium修道院を建て,これに図書館を併置したときであった。…
【東ゴート王国】より
…この2系統の支配体系は宮廷と王の人格のもとで1本に統合される。多くのローマ人が有能な役人として宮廷で勤務したが,なかでもカッシオドルスは著名である。ローマ人には武器の携帯が禁止され,ゴート人のみが軍事力を独占した。…
【ラテン文学】より
… 5世紀後半から6世紀にかけてのキリスト教作家には,シンマクスの後継者といえるほどの技巧派の修辞家シドニウス・アポリナリス,キリスト教と世俗の両方のテーマを歌った詩人ドラコンティウスDracontius,古典の教養を顕示した演説家エンノディウスEnnodius,最後の詩人ウェナンティウス・フォルトゥナトゥスVenantius Fortunatus,《フランク史》の著者トゥールのグレゴリウス,教皇グレゴリウス1世などがいる。カッシオドルスは古典研究を神学研究に取り入れて,中世修道院を学問所とする道を開いた。最後の修辞学者イシドルスは,すでに7世紀に入っている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」