カールスバートの決議
かーるすばーとのけつぎ
Karlsbader Beschlüsse ドイツ語
ドイツ連邦議会が行った1819年9月20日の自由主義運動弾圧諸法の決議。同年、ロシアのスパイとみられていたコッツェブーが学生組合運動急進派カール・ザントに暗殺された事件などを口実に、オーストリア宰相メッテルニヒは8月ドイツ諸侯をカールスバートに招集して、大学法、出版法、扇動者取締法を決定させ、9月20日ドイツ連邦議会に提出、可決させた。これにより学生組合運動は禁止され、大学、出版はメッテルニヒの厳重な監視下に入り、自由主義運動弾圧の体制が完成した。
[岡崎勝世]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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カールスバートの決議(カールスバートのけつぎ)
Karlsbader Beschlüsse
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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