カールラガーフェルド(その他表記)Karl-Otto Lagerfeld

現代外国人名録2016 「カールラガーフェルド」の解説

カール ラガーフェルド
Karl-Otto Lagerfeld

職業・肩書
ファッションデザイナー,写真家

国籍
ドイツ

生年月日
1933年9月10日

出生地
ハンブルク

受賞
デ・ドール賞〔1986年〕,FEC賞(デザイナー部門,第46回)〔2003年〕

経歴
幼い頃から絵に親しみ、1952年14歳の時に一家パリ移住。’54年国際羊毛事務局(IWS)のデザインコンクールのコート部門で第1位を獲得。’55年ピエール・バルマンアシスタント、’59年ジャン・パトゥのアート・ディレクターとなり、’63年独立。’65年よりイタリアのフェンディ主任デザイナー、’63〜78年、’92〜97年クロエの主任デザイナー。’83年よりシャネルの主任デザイナーに就任。服のデザインの他にサングラスやバッグなどの人気商品を生み出し、停滞していたシャネルの救世主となった。’84年自身のブランド“カール・ラガーフェルド”をスタート。’86年デ・ドール(金の指ぬき)賞を受賞。2005年自身のブランドをトミー・ヒルフィガーに売却。2004年H&M、2011年ホーガン、メイシーズのデザインを手がける。2008年米誌「タイム」が選ぶ最も影響力のある100人にファッションデザイナーとしては唯一選出された。“モード皇帝”と呼ばれる。映画舞台の衣装デザインを手がける他、1987年からは芸術写真家としても活躍。’98年には日本でも写真展を開催。体重が一時100キロを超えていたが、ダイエットで40キロ以上の減量に成功した。2000年初来日。2004年12月東京・銀座に世界一大きいシャネルブティックがオープン。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵mini 「カールラガーフェルド」の解説

カール・ラガーフェルド

ファッションデザイナー。1938年生まれ、ドイツ・ハンブルク出身。50年代にパリに移住し、54年にピエール・バルマンの助手となった。60年代からはクロエやフェンディのデザインを手がけた。83年よりシャネルのアートディレクターとなり、創業者ココ・シャネルの死後に低迷していた同社を復活させた。87年より写真家としても活躍し、日本でも写真展を開催した。19年2月19日、死去した。享年85。

(2019-2-21)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

20世紀西洋人名事典 「カールラガーフェルド」の解説

カール ラガーフェルド
Karl Lagerfeld


1938 -
ドイツのファッション・デザイナー。
ハンブルク生まれ。
ドイツのファッション・デザイナーで、1952年パリに行き、’55ネンピエール・バルマンのアシスタントを務めた。その後ジャン・パトゥのファッション・デレクターを経て、’63年独立。’64〜83年クロエ社、’83年からシャネルのデザインをそれぞれ担当した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android