改訂新版 世界大百科事典 「ガーリチボルイニ公国」の意味・わかりやすい解説
ガーリチ・ボルイニ公国 (ガーリチボルイニこうこく)
Galitsko-Volynskoe knyazhestvo
中世ロシアの一公国。キエフ・ロシアの分裂化が進行し,キエフ大公の地位が低下する中で,強力な公国の一つとして発展し,12世紀末には大公国と称した。当初ガーリチ公国とボルイニ公国として隣接する別々の国であったが,1199年ボルイニ公ロマンRoman Mstislavich(?-1205)がガーリチ公国を併合して一つの公国とし,このロマンが大公の称号を採用した。キエフ・ロシアの南西部にあってポーランド,ハンガリーと国境を接し,ドナウ川沿岸地域をめぐってビザンティン帝国との関係も生じるという位置にあったため,これら諸国の介入を受けたり,ポロベツ人の襲撃に対処しなければならなかった。しかし重要な河川および陸路交通の要衝でもあったため貿易を有利に展開することが可能であった。ロマンの死後国内では貴族が勢力を振るい,またハンガリー,ポーランドの介入を受けたが,ロマンの子ダニイルDaniil Romanovich(1201-64)により再建され,新たな経済的・政治的高揚期を迎えた。しかし,タタール人の侵入に直面し,ダニイルはローマ教皇をも巻き込んで対抗したが,結局キプチャク・ハーン国の勢力圏に組み込まれる。14世紀初め一時的に統一を回復するが,公国内には自立的諸公が存在し,分裂傾向を阻止できないまま,14世紀半ばにはポーランドとリトアニアによって分割され,以後18世紀末まで両国の支配下に置かれた。
執筆者:細川 滋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報