イギリスの小説家、文明批評家。20世紀初頭の思想界に大きな影響を与えた。9月21日、ケント州ブロムリー(現、ロンドンの一部)の貧しい商家に生まれ、8歳から13歳まで商業学校に通ったのち、徒弟奉公に出され、服地屋の丁稚(でっち)、薬剤師助手など職を転々とした。1884年奨学金を得てサウス・ケンジントンの理科師範学校(現、ロンドン大学理学部)に入学、T・H・ハクスリーなどの講義を聞き、科学万能の世界に浸った。1888年優等で同校を卒業、理科教師の生活に入ったが、まもなくジャーナリズムの世界に転じた。このころから小説を書き始め、1895年に発表した処女作『タイム・マシン』は好評を博し、いまでもSFの古典となっている。その後も『驚くべき来訪』(1895)、『モロウ博士の島』(1896)、『透明人間』(1897)、『宇宙戦争』(1898)などの科学小説を精力的に発表した。これらの作品すべてに、日常生活の不安定さと未来の人類の位置とその没落が暗示されていることは注目に値する。
20世紀に入ると文明批評的な関心が深まる。世相に対する風刺とユーモアを特徴とし、彼の貧しい少年時代を詳しく描いた普通の小説『キップス』(1905)、『ポリー氏』(1910)や自伝的傾向の強い『トノ・バンゲイ』(1909)などはすべて彼の社会思想の告白でもある。1903年フェビアン協会に参加、この協会の穏健な社会主義綱領に飽き足らず、G・B・ショーなどと対立しながら、彼独自の合理主義的社会観を表明し続けた。これらを小説の形で示したものが、人類の理想と進歩に関する一群の思想小説『予想』(1901)、『完成中の人類』(1903)、『近代的理想郷』(1905)、『新マキアベリ』(1911)であるが、この時期にすでに原爆を使用した科学小説『解放された世界』(1914)を書いている。その後、彼の社会的関心はますます強まり、知的国際連盟とも称すべき彼の理想を、『世界文化史大系』20巻(1920)や続編『生命の科学』(1929)などの形で精力的に表現。1946年8月13日、ロンドンで没。著書100冊を超える彼の生涯をひとことでいうならば、後期のペシミスティックな傾向にもかかわらずビクトリア朝の上昇階級であった下層中産階級の一員として、普通教育の普及の波のなかで科学と知性による迷信の排除と人類の合理的進歩という信念を語り続けたものということができる。
[鈴木建三 2015年7月21日]
『阿部知二訳『ウェルズSF傑作集』全3冊(創元推理文庫)』▽『マッケンジー著、村松仙太郎訳『時の旅人』(1978・早川書房/上下・ハヤカワ文庫)』
アメリカの映画監督、俳優。ウィスコンシン州ケノーシャ生まれ。1931年、高校を卒業してアイルランドに旅行し、ダブリンのゲイト劇場で初舞台を踏んだ。帰米後本格的に演劇活動に入り、1937年にルーマニア出身の俳優ジョン・ハウスマンJohn Houseman(1902―1988)らとマーキュリー劇団を結成、ラジオ番組などにも進出した。1938年10月30日、CBSラジオでH・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』を脚色して放送したとき、冒頭で臨時ニュースの形式をとったために、火星人襲来の報を真に受けた多くの市民がパニック状態になり、大きな話題となった。その奇才ぶりに着目した映画会社RKOが招いてつくらせたのが、ウェルズの監督、共同脚本、主演による『市民ケーン』(1941)で、制作時は25歳であった。アメリカの新聞王の専横ぶりと満たされぬ精神的孤独を描いたこの作品は、大胆なドラマ構成と斬新(ざんしん)なカメラ操作による画面構成で映画史上に残る傑作となった。その後、『マクベス』(1948)、『黒い罠(わな)』(1958)、『審判』(1962)のほかに、多くの日本未公開作品をつくったが、『市民ケーン』に勝る作品を生み出してはいない。その異才が映画会社の商業主義の枠に収まりきれないためだろう。彼はまた、堂々たる風格を生かした性格俳優としても一流の評価を得、自らの監督作品の多くに主演したほか、『第三の男』(1949)などにも出演している。
[品田雄吉]
市民ケーン Citizen Kane(1941)
偉大なるアンバーソン家の人々 The Magnificent Ambersons(1942)
オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー The Stranger(1946)
上海から来た女 The Lady from Shanghai(1947)
マクベス Macbeth(1948)
オーソン・ウェルズのオセロ The Tragedy of Othello : The Moor of Venice(1952)
秘められた過去 Mr. Arkadin(1955)
黒い罠 Touch of Evil(1958)
審判 The Trial(1962)
オーソン・ウェルズのフォルスタッフ Falstaff/Chimes at Midnight(1966)
オーソン・ウェルズのフェイク F for Fake(1975)
アメリカの歯科医。コネティカット州ハートフォードの開業医である。1844年12月10日、地方を巡業していた通俗講演者コルトンGardner Q. Colton(1814―1898)が亜酸化窒素(笑気)による麻酔を見せ物として実験しているのを見た。その翌日、ウェルズの診療所で、コルトンがウェルズに笑気ガスで麻酔をかけ、友人の歯科医リッグスJohn M. Riggs(1811―1885)がウェルズの智歯(ちし)を抜去して、麻酔作用を確認した。リッグスはのちに歯周炎の研究で知られた。ウェルズは無痛で抜歯した成功例を得て、ボストンに行き、マサチューセッツ病院の外科医ウォーレンJohn C. Warren(1778―1856)の前で試みたが失敗した。郷里に帰ってからも、笑気ガスによる抜歯は成功したが、患者の一人が麻酔のために死亡。引退したが、精神病となり自殺した。
[本間邦則]
アメリカの映画監督,俳優。弱冠26歳にして自作自演による《市民ケーン》(1941)で衝撃のデビュー。天才監督の名をほしいままにするが,ハリウッドの商業主義と折り合わず,第2作《偉大なるアンバーソン》(1942)は2時間11分を1時間22分に短縮され,《恐怖の旅路》(1943)は途中で監督を降ろされる。さらに,〈赤毛のリタ〉の愛称で人気絶頂の女優リタ・ヘイワースを金髪の悪女に仕立てた《上海から来た女》(1946)は無残な興行成績に終わり,B級映画会社リパブリックで得意のシェークスピア物《マクベス》(1948)を手がけるがこれもふるわず,ついにハリウッドから追い出されたかっこうでヨーロッパ各地を流浪する。《オセロ》(1949-52)はイタリアとモロッコで,《アーカディン氏》(1955)はフランスとスペインとドイツとイタリアで,《審判》(1962)はフランスとユーゴスラビアで,《真夜中の鐘》(1966)はスペインで,それぞれ撮って,ほとんど国籍不明の映画作家となった。その間に撮った唯一のアメリカ映画《黒い罠》(1958)も製作会社ユニバーサルによって手を入れられ,ウェルズ自身は自分の作品と認めていない。その他の作品はフランスのテレビ映画《不滅の物語》(1968),フランスとイランの合作映画《オーソン・ウェルズのフェイク》(1975)など。資金不足のために未完の作品も数多くある。
ウィスコンシン州生れ。演劇にとりつかれ,ニューヨークで,J.ハウズマン,J.コットンらの演劇人と親交を結び,黒人版《マクベス》の演出(1936),劇団〈マーキュリー劇団〉の結成(1937)を経て,1938年10月30日,アメリカ中をパニック状態に陥れた史上名高いラジオドラマ《火星人襲来》(CBSラジオの音楽放送が突然中断し,宇宙船の着陸を伝える臨時ニュースから始まるというショッキングな形式であった)によって,23歳のウェルズは一躍脚光を浴び,〈神童〉とうたわれ,劇団ごとハリウッドに迎えられることになる。《市民ケーン》における類例のない〈パンフォーカス〉撮影,《上海から来た女》の〈鏡の間〉のモンタージュ,《偉大なるアンバーソン》《黒い罠》における息の長い〈ワンシーン・ワンカット〉撮影等々,革新的な映画技法を駆使する一方,チャップリンの《殺人狂時代》の原案も彼の手になるものであり,また性格俳優として自作以外にも数々の映画に出演,C.リード監督《第三の男》(1949)のハリー・ライムを頂点とする彼ならではの強烈な〈怪物的〉キャラクターを演じている。詩人J.コクトーは〈子どもの目つきをした巨人〉とも呼んでいる。
執筆者:岡田 英美子+広岡 勉
イギリスの小説家,歴史家,科学評論家。ケント州ブロムリーに貧しい瀬戸物商の子として生まれる。私立商業学校卒業のみで生活のため服地屋の丁稚(でつち),学校の助教員,薬剤師助手などの職につき,1884年ようやく奨学金を得てロンドンの理科師範学校(現在のロンドン大学理学部)に入学。T.H.ハクスリーなどの講義に列し,当時の科学万能の世界にひたり,88年優等で卒業,しばらく理科の教師をしたが,健康を損ねジャーナリズムに転じた。
ほぼ同時に小説を書きはじめ,《タイム・マシン》(1895)で好評を博し,《透明人間》(1897),《宇宙戦争》(1898)などの科学小説を続々発表,SFの歴史において,期を画した。1903年にはフェビアン協会に入会する。その独特の合理的社会観を《モダン・ユートピア》(1905),《新マキアベリ》(1911)などの文明批評的な作品で表明する一方,《キップス》(1905),《トーノ・バンゲー》(1909),《ポリー氏の閲歴》(1910)といった優れた伝統的小説も数多く発表している。
第1次大戦を契機として人類や世界の運命に対する関心を急速に深め,一種の〈知的国際連盟〉による世界救済を考え,科学と合理主義の進歩として人類史を考える《世界文化史大系》(1920,その縮小版《世界史概観》は1922刊行)を発表し好評を博する。さらにこの理想実現のために《生命の科学》(共著1929-31),《人類の労働と富と幸福》(1932),《世界百科事典》(1936)などを発表し続けた。さすがに第2次大戦直前以後の《世界の頭脳》(1938),《人類の運命》(1939),《新世界秩序》(1940)などにはペシミスティックな調子が強くなっている。著書100冊を超える彼の生涯は,ビクトリア時代の上昇階級であった下層中産階級の一員として,普通教育の普及の波の中で,科学と知性による迷信の排除と人類の合理的進歩というその基本的信念を語り続けたものということができる。ウェルズはSFの祖の一人として日本でも広く読まれているが,SF以外では1938年に翻訳された《世界文化史大系》や翌年に新書判として翻訳された《世界史概観》(当時は《世界文化史概説》として出版)が,日中戦争下の自由主義者のあいだで熱心に読まれた。
執筆者:鈴木 建三
アメリカの歯科医。1844年はじめて亜酸化窒素(笑気)ガスを用いて無痛抜歯に成功したが,その翌年の1月マサチューセッツ総合病院で行われた公開手術では失敗した。麻酔法の優先権をめぐってW.T.G.モートンらとの間に争いも起こり,以来失意の日々を過ごし,48年1月ニューヨークに転居,そこでも引き続いてエーテル,クロロホルムなどを自らに試みていたが,ついにはその中毒患者になった結果ひき起こされた傷害事件で逮捕され,獄房の中で自殺した。
執筆者:秋元 寿恵夫
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…イギリス南西部,サマセット州のウェルズにあるゴシック様式の大聖堂。初期イギリス様式Early English Styleの代表例。…
…一般に外部からの侵入者を意味するが,とくにSFにおいて宇宙からの侵略者に限定して使われることが多い。H.G.ウェルズの《宇宙戦争》(1898)は火星からの侵略を扱った古典的名作で,この作品のパロディとしてブラウンF.Brownの《火星人ゴーホーム》(1955)やプリーストC.Priestの《スペース・マシン》(1976)のような傑作が書かれた。また38年にO.ウェルズがH.G.ウェルズの《宇宙戦争》をもとに書いた放送劇が,これを現実の侵略を実況したものと勘ちがいしたアメリカ市民に恐慌をもたらしたことは有名である。…
…1941年製作のアメリカ映画。〈マーキュリー劇団〉の主宰者で,1938年10月30日,ハロウィン(万聖節)の前夜に放送してアメリカ中をパニック状態におとしこんだラジオ・ドラマ《火星人襲来》以来すっかり有名になり,〈ワンダーボーイ(神童)〉の名をほしいままにしていた当時25歳のオーソン・ウェルズが,チェース・ナショナル銀行と並ぶ大株主だったネルソン・ロックフェラーの推薦により,経営上の危機を迎えていたハリウッドの映画会社RKOに招かれてつくった初の監督作品。新人監督としては異例の6本契約を結び,製作に関するすべての権限と自由を保証されてつくったことでも伝説的な映画である。…
…1949年製作のイギリス映画。アントン・カラスのチターの演奏だけによる哀感あふれる音楽と,オーソン・ウェルズが演じたハリー・ライムという強烈な人物像によって世界中のファンを魅惑し,キャロル・リード監督の名を一躍高からしめたスリラー映画の名作。〈冷戦〉をテーマに作家のグレアム・グリーンが敗戦直後(1947)の米英仏ソ4ヵ国管理下のウィーンの闇市(ブラック・マーケット)を描いたオリジナルストーリーから,グリーン自身が脚色。…
…チャールズ・チャップリン監督・主演。第1次大戦直後に現れたフランスの殺人鬼〈青ひげランドリュ〉の事件をチャップリン主演で喜劇化しようとしたもので,オーソン・ウェルズの原案による。絞首台を前にして,映画の中の殺人狂ムッシュー・ベルドゥーが語る〈人間を1人殺せば絞首刑になるが,無数に殺せば勲章をもらえる〉というアイロニーは,〈青ひげの変質的な殺人がチャップリンの錬金術によって一つの社会的必然に変えられた〉と評され,ヨーロッパ,とくにパリで大好評だったが,アメリカでは封切が〈赤狩り〉の台頭と時を同じくし,チャップリン映画としてははじめての興行的大失敗に終わった。…
…〈ハースト王国〉はその後衰退したものの,彼の死亡した51年現在で全日刊紙発行部数の9.8%(18紙)を傘下に収めていた。オーソン・ウェルズの監督・主演による映画《市民ケーン》のモデルでもある。【香内 三郎】。…
…1835年に新聞《ニューヨーク・サン》が大望遠鏡による月人観測のうそ記事を掲載して大騒ぎとなり,77年にG.V.スキャパレリが火星の筋模様を発見し,P.ローエルが《火星》(1895)という本でそれを運河であると主張してからは宇宙人の存在に関する議論が絶えることはなくなった。それも長い間火星人に関心が集中し,H.G.ウェルズが《宇宙戦争》(1898)において,重力と酸素量の関係で〈タコ型〉の火星人を想像してからは,この形の宇宙人が人々に親しまれるようになった。やがて,火星に知的生物が存在しえないことがわかると,遠い恒星系の惑星に関心が移り,宇宙人の想像図も多様をきわめるものとなった。…
…この系譜はブラッドベリ,ライバーF.Leiberなど現代のアメリカSFにまで一つの流れを形成しており,恐怖小説誌《ウィアード・テールズ》(1923‐54)はアメリカの大衆小説としてのSFを生む重要な土壌ともなった。しかし,真にSFに強力な方向性を与えたのは,フランスのベルヌとイギリスのH.G.ウェルズである。ベルヌは《月世界旅行》(1865)や《海底二万リーグ》(1870)において,科学技術による未来の夢と未知の世界への冒険をおおらかに展開し,自国以上にアメリカで大きな人気を得た。…
…
[H.G.ウェルズからB級映画へ]
SF映画の歴史は,1895年,イギリスの作家H.G.ウェルズが彼の空想科学小説《タイム・マシン》(1895)のイメージを,友人の科学者R.ポールの協力のもとに,当時発明されたばかりの〈映画〉と幻灯を駆使して,遊園地のびっくりハウス的な幻覚ショーを催したときに始まる。これは一種の疑似体験としての世界最初の視聴覚メディアの実験でもあった。…
…〈航時機〉とも訳される。過去や未来を訪れるための空想的な装置で,H.G.ウェルズ《タイム・マシン》(1895)にはじめて登場する。しかしウェルズ作品の主眼は文明批評にあり,その点では機械によらぬ時間遡行を扱ったマーク・トウェーン《アーサー王宮廷のヤンキー》(1889)と同様に,タイム・マシンの純論理的分析を行ったものではなかった。…
…H.G.ウェルズの作品《透明人間》(1897)によって広まったSFのテーマ。いわゆる〈隠れ蓑(みの)〉の類による肉体の消身伝説や物語は昔から洋の東西に数多いが,そこに体内色素の消去や光の屈折率操作など擬似科学的要素を最初に持ちこんだのがウェルズである。…
…宇宙や極地や海底の開発を通して,空想的な予言が真実味をおびるようになり,極端に発展した機械文明が,人間の物理的限界をこえて浮遊しうるような超越的ユートピア像が提出された。その一例がH.G.ウェルズのユートピア《モダン・ユートピア》(1905)でこの作品は冷静な社会分析をふくみつつもSF世界を開示して多数の読者を獲得した。 第2には,反ユートピア(ディストピア)論の登場である。…
…一方それまで医学において遅れていたドイツのベルリンにもCollegium medicochirurgicumが設立され,ようやく医学の一分野としての外科の立場が認められるようになった。 19世紀に入って,アメリカのロングCrawford Williamson Long(1842),ウェルズHorace Wells(1844),W.T.G.モートン(1846)やイギリスのシンプソンJames Young Simpson(1847)らによる全身麻酔法,L.パスツール(1861)の腐敗現象は空気中の微生物によるという報告に基づいたI.P.ゼンメルワイス(1847),J.リスター(1867)らによる制腐消毒法,ベルクマンErnst von Bergmann(1886)やシンメルブッシュCurt Schimmelbusch(1889)による無菌法,エスマルヒJohann Friedrich August von Esmarch(1823‐1908)による駆血帯の使用は,その後の外科手術を飛躍的に進歩させることとなった。すなわち,ランゲンベックBernhard Rudolf Conrad von Langenbeck(1810‐87)の子宮全摘出術,ティールシュCarl Thiersch(1822‐95)の植皮術,フォルクマンRichard von Volkmann(1830‐89)の直腸癌手術,ビルロートTheodor Billroth(1829‐94)の胃切除術の成功例が報告されるようになった。…
…一方それまで医学において遅れていたドイツのベルリンにもCollegium medicochirurgicumが設立され,ようやく医学の一分野としての外科の立場が認められるようになった。 19世紀に入って,アメリカのロングCrawford Williamson Long(1842),ウェルズHorace Wells(1844),W.T.G.モートン(1846)やイギリスのシンプソンJames Young Simpson(1847)らによる全身麻酔法,L.パスツール(1861)の腐敗現象は空気中の微生物によるという報告に基づいたI.P.ゼンメルワイス(1847),J.リスター(1867)らによる制腐消毒法,ベルクマンErnst von Bergmann(1886)やシンメルブッシュCurt Schimmelbusch(1889)による無菌法,エスマルヒJohann Friedrich August von Esmarch(1823‐1908)による駆血帯の使用は,その後の外科手術を飛躍的に進歩させることとなった。すなわち,ランゲンベックBernhard Rudolf Conrad von Langenbeck(1810‐87)の子宮全摘出術,ティールシュCarl Thiersch(1822‐95)の植皮術,フォルクマンRichard von Volkmann(1830‐89)の直腸癌手術,ビルロートTheodor Billroth(1829‐94)の胃切除術の成功例が報告されるようになった。…
※「ウェルズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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