日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラフト」の意味・わかりやすい解説
クラフト(手工芸)
くらふと
craft
手工芸で物をつくる仕事をいい、おもに家具、食器、玩具(がんぐ)などの分野に用いられる。一品製作の美術工芸品と異なり、複数生産が可能で、機械力を使ってもなお手作りの暖かさ、豊かさを生かした工芸をいう。大量生産されるインダストリアル・デザイン(カメラ、車、電気製品など)と区別されているが、その分野は対立するものではなく、重複している部分も少なくない。概して品種、材料、技術、生産数量などによって分けているのが普通で、身近な日用品がクラフトの中心となっている。
生産している場も、従業員数が数人から数百人程度までの中小企業がほとんどであり、その点で生産量や流通の調整がとりやすく、同系統のものでも異なる幾種類かの製品をつくることが容易で、個性的なデザインを取り入れることも可能である。そのデザイン水準は別として、日本ほどクラフトの種類が多く、技術的に進んでいる国は少なく、国内の至る所に地場産業として散在している。際だって器用な手をもっている日本人の特性は、ヨーロッパにみるような自然と対決する造形ではなく、自然との融和を背景に工芸という生活文化を築いてきた歴史をもっている。もともと日本での美術工芸は実用を主体としたもので、西欧美学的な意味での美術作品ではなかった。その西欧にしても美術の分化は近世に入ってからであり、日本でのそれは明治以降になってからのことであった。なかでも工芸の分野はかなり時を経たのちに活動が始められたものの、工芸美術とか美術工芸という名称でもわかるように「美術」が前面に押し出され、いまに至るまで実用よりもむしろ美的鑑賞に偏った見方に支配されてきた一面が存在している。立場によっては、その自由な表現意欲には尊重すべき面があるにしても、それが庶民の生活感覚から離れたところへ進んでいくとすると、工芸本来の姿から甚だしくゆがんだものとなってしまう。
また他方では、無名の人々によってつくられ使われてきた日常の雑器のなかに美をみいだしていくことから始まった民芸運動がある。柳宗悦(むねよし)らによっておこされた民芸運動は、日常の雑器として顧みられなかったもののなかに、真の工芸に通ずる健康なデザインがあることを人々に認識させたことに大きな意味があり、それは今日の物をみていく態度にも通ずるものがあるといえよう。もとはといえば、民芸はその時代のクラフト・デザインであったといえる。
ヨーロッパでは18世紀の産業革命以降、ウィリアム・モリスによってアーツ・アンド・クラフツ運動が提唱され、第一次世界大戦、第二次大戦を間に挟んでさまざまな曲折を経ながら今日まで発展してきた。日本のクラフト・デザインもそのなかにあって刺激を受け、伝統的な工芸を再生し、新しい方向を求めながら今日に至ってきた。デザインの分野も現代では細分化されているようにみえるが、デザイン運動は本来区分されたものではなく、互いに重なり合う部分をもちながら進んできたもので、クラフト・デザイン運動もその一環としてみることができる。
とくに1950年代以降、アメリカ文化の影響を受けて急速にわが国に浸透してきたインダストリアル・デザインは、思想面や技術方法論などの多くの面で、日本のクラフトに大きな変化をもたらすきっかけとなった。以後今日まで、それぞれの特質を生かし、相互に交流を重ねながら、今後のデザイン活動の基盤を形成している。日本デザイナー・クラフトマン協会、クラフト・センター・ジャパンは日本における運動の中心となっている。
[網戸通夫]
クラフト(Adam Krafft (Kraft))
くらふと
Adam Krafft (Kraft)
(1445/60―1508/09)
ドイツの彫刻家。ニュルンベルク生まれと推定され、同地近郊のシュワーバハで没した。フィッシャーとともにゴシックからルネサンスへの様式転換期におけるドイツ彫刻を代表する。後期ゴシックの装飾的な彫刻から出発したが、1500年ごろイタリアの影響を受けることなく単純で造形性に富む様式に到達した。精神的表出力にあふれた活力ある石彫を特色とする。表現分野は墓碑が多く、ニュルンベルクの聖セバルド聖堂のシュライエルの墓碑(1490~92)が代表作。レリーフでは同市計量局の作例(1497)が名高く、建築装飾作品としては同市の聖ロレンツォ聖堂のサクラメンツハウス(1493~96)に人物と装飾の調和した作品群がある。そのなかの作者像は内面性をたたえた秀作である。
[野村太郎]