モリス(読み)もりす(英語表記)James Samuel Morris Jr.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モリス」の意味・わかりやすい解説

モリス(William Morris)
もりす
William Morris
(1834―1896)

イギリスの工芸家、詩人、思想家。3月24日ロンドン近郊ウォルサムストーに生まれる。オックスフォード大学エクシター・カレッジに学ぶ(1853~1855)。ここでバーン・ジョーンズと親交を結び、またジョン・ラスキンの思想に触れ、とりわけゴシック建築への関心を深めた。初め建築家を志したが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの勧めで画家志望に転ずる。1850年代の終わりには広く生活環境の美化を目ざすようになり、1861年、知人たちと語らってモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立(1875年、単独のモリス商会となる)。壁面装飾からステンドグラス、家具、金工に至る室内装飾のいっさいに取り組んだ。1877年には最初の講演「装飾芸術」を行い、また古代建築保存協会を設立するなど、対社会的なアピールが始まる。詩人としてもすでに『ジェイソンの生涯と死』などで知られていたが、文学におけるその唯美主義的傾向は、工芸家としてのモリスの中世礼賛と交錯しつつ、やがては19世紀文明への批判という形をとることになる。

 すなわち、モリスが相対する社会とは、産業革命が招来した愚かしい機械の時代、そして貧富の差が極端な時代である。日々の労働が創造の喜びに包まれたかつての時代を復興するため、彼としては社会変革にとりかかる必要があり、社会主義を宣言して政治活動に身を投じることになった。『ユートピアだより』(1890)はこの時期の文学作品である。工芸方面の仕事も多くの領域にわたって続けられたが、彼の仕事そのものが20世紀に向けての工芸の道を切り開いたとはいいがたく、多分に懐古的な傾向さえみられる。しかし、1880年代に入ってモリスの教えに刺激された各種工芸家の組織が形成され、近代デザイン運動の発端をつくった。この動きはアーツ・アンド・クラフツ運動とよばれる。

 晩年はハマースミスにケルムスコット・プレスを設立(1891)、印刷・造本の仕事に没頭し、ここで、ケルムスコット版チョーサーとして知られる『カンタベリー物語』(1896)などが印刷・製本された。1896年10月3日同地に没。モリスの思想は大正から昭和初期にかけて日本にも紹介され、各方面に大きな影響を与えた。柳宗悦(やなぎむねよし)らによる日本の民芸運動も、モリスの理念の展開としてとらえられる。

[高見堅志郎 2015年7月21日]

『モリス著、内藤史朗訳『世界教育学選集63 民衆のための芸術教育』(1971・明治図書出版)』『松村達雄訳『ユートピアだより』(岩波文庫)』『岡田隆彦編著『ウィリアム・モリスとその仲間たち――アール・ヌーボーの源流』(1978・岩崎美術社)』『レイ・ワトキンソン著、羽生正気・羽生清訳『デザイナーとしてのウィリアム・モリス』(1985・岩崎美術社)』『『小野二郎著作集1 ウィリアム・モリス研究』(1986・晶文社)』



モリス(Robert Morris)
もりす
Robert Morris
(1931―2018)

アメリカの美術家。ミズーリ州カンザス・シティに生まれる。1960年代から1970年代にかけておこった芸術のさまざまな傾向、たとえばミニマル・アート、アンチ・イリュージョン(名称は1969年、ホイットニー美術館で開催された展覧会名に由来する。作品における幻影的効果を排除し、鉄や木材、繊維の塊など、素材をそのまま提示したり、また運動や制作の過程をそのまま作品とする傾向)、アースワークなどのすべてにかかわり、また芸術理論の執筆やパフォーマンスやダンスの振付け、自身によるパフォーマンスなどもこなす多才さをもつ。

 カンザス市立大学で工学、ついで芸術を学ぶ。1951年にサンフランシスコに移り、カリフォルニア美術学校で学び、一時兵役についた後さらにオレゴンのリード大学で哲学を学ぶ。翌1952年サンフランシスコに戻り、おもに西海岸を活動の場とし、ダンス、即興劇、映画、絵画などを精力的に手がける。1961年ニューヨークに移り、彫刻の制作を始めるとともにハンター・カレッジに入学、美術史と美術批評を専攻する。このころからジャンルを問わず、西海岸出身の同世代の芸術家たちと交流を深める。そのなかには舞踊家イボンヌ・レイナーYvonne Rainer(1934― )、作曲家ラ・モンテ・ヤングらがいた。

 こうしたキャリアを背景に多種多様な作品が制作されるが、それでもそこにはつねに、人間の身体、とくにその行為や知覚についての考察が含まれている。この傾向は1960年代の作品に顕著である。たとえばマネの絵画作品『オランピア』(1863)を題材にしたパフォーマンス作品『場』(1964)は、この絵画と同じようにベッドに横たわった裸の女性の前を、モリスが白い板で遮(さえぎ)りながら歩くというもので、「見える/見えない」という関係に、「存在する/存在しない」という関係が重ね合わされていた。またパフォーマンス作品と並行して制作された、ごく単純な幾何形態をとる一連の立体作品は、モリスをドナルド・ジャッドやカール・アンドレと並ぶミニマル・アートの作家として認知させることになる。それらの作品にしても、もともとはパフォーマンスやダンス作品で使う道具として構想されていたのを、そこから切り離して展開しなおしたものである。そしてモリス自身が1966年の彫刻論(『彫刻に関する覚え書き』Notes on Sculpture)でいうように、これら立体作品ではパフォーマーの行為ではなく観客の知覚や行為が問題となっている。それらの立体作品は、観客の視点の移動によって、また作者自身が日々作品の配置を変更することによって、見え方を劇的に変える。つまり、かつてパフォーマーがいた位置に、今度は作品の鑑賞者が立つことになるのである。

 そして1960年代の終わりになると、この単純な幾何形態は解体される。彼自身が「アンチ・フォーム」とよぶ一連の作品が登場する。それらはたとえば部屋中に散乱する金属や木、ゴムの切れ端であり、あるいは壁からだらしなく垂れ下がるフェルト、さらには地面に開けた四角い穴から吹きだす蒸気であったりする。そしてときにはそれらもまた、作者の手によって日々変更が加えられる。今度はぐにゃぐにゃ、ふわふわしたつかみどころのない形の知覚が問題になるのである。

 さらに1970年代には巨大な迷路の作品に移行、その後は『黙示録』を題材にした重々しいレリーフ作品を制作したかと思うと、1990年代の終わりには再びかつての迷路の再構築のような作品も制作した。めまぐるしく作風を変えはするものの、ある問題にきわめて知的・論理的に取り組んで一定の解答を得て、それを足がかりに次の問題へと移るという姿勢は一貫していた。

[林 卓行 2018年12月13日]


モリス(Desmond Morris)
もりす
Desmond Morris
(1928― )

イギリスの動物行動学者。ウィルトシャーに生まれる。オックスフォード大学で高名なオランダの動物学者ティンバーゲンに学び博士号を取得。1956年ロンドン動物園のテレビ映像部門の責任者となり、1959~1967年は同動物園の哺乳(ほにゅう)動物科長を務めた。その間に、多くの映画・テレビ番組や著作を発表したが、なかでも『裸のサル』(1967)は大きな話題となり、世界中で翻訳されて800万部も売れた。

 その後『人間動物園』(1969)、『ふれあい』(1971)と人間行動に関する著作が続き、とくに人間の身体言語を研究した『マンウォッチング』(1977)は、その後のウォッチング・シリーズの基盤となった。1973年には母校の特別研究員に迎えられ、フットボール・クラブの理事にもなって『サッカー人間学』(1981)を書き、さらに年齢別の人間行動の実態を具体的に論述した『年齢の本』(1983)、人体各部に独自の解析を試みた『ボディウォッチング』(1985)を発表した。

 1982年(昭和57)には来日して、テレビ番組『マンウォッチング 日本』を制作。1986年からはペットの行動分析に興味をもち、『ドッグ・ウォッチング』『キャット・ウォッチング』(ともに1986)などの著作とビデオをつくった。1990年代には『赤ん坊はなぜかわいい?(ベイビー・ウォッチング)』(1991)、『ボディートーク』(1994)、『セックスウォッチング』(1997)などを出版、2000年にはこれまでの世界各地でのマンウォッチングの旅をまとめた『裸の眼(め)』を出すなど、長年にわたって多彩な研究・著作と映像作成に励んできた。なお、モリスは美術にも造詣(ぞうけい)が深く、60年以上にわたって自身の作品をロンドン、パリなどのギャラリーで発表している。

[藤田 統]

『日高敏隆訳『裸のサル――動物学的人間像』(1969・河出書房新社/改訂版・角川文庫)』『矢島剛一訳『人間動物園』(1970・新潮選書)』『石川弘義訳『ふれあい――愛のコミュニケーション』(1974・平凡社)』『藤田統訳『マンウォッチング』(1980・小学館)』『小原秀雄監修、鶴田公江訳『ナポレオンとひきがえる』(1981・日本ブリタニカ/改題改訂版『モリス自伝――動物とわたし』・1988・角川選書)』『岡野俊一郎監修、白井尚之訳『サッカー人間学――マンウォッチングⅡ』(1983・小学館)』『日高敏隆訳『年齢の本』(1985・平凡社)』『藤田統訳『ボディウォッチング』(1986・小学館)』『竹内和世訳『ドッグ・ウォッチング――イヌ好きのための動物行動学』(1987・平凡社)』『羽田節子訳『キャット・ウォッチング――ネコ好きのための動物行動学』(1987・平凡社)』『幸田敦子訳『赤ん坊はなぜかわいい?――ベイビー・ウォッチング12か月』(1995・河出書房新社)』『日高敏隆監修、羽田節子訳『セックスウォッチング――男と女の自然史』(1998・小学館)』『東山安子訳『ボディートーク――世界の身ぶり辞典』(1999・三省堂)』『別宮貞徳訳『裸の眼――マン・ウォッチングの旅』(2001・東洋書林)』


モリス(James Samuel Morris Jr.)
もりす
James Samuel Morris Jr.
(1964― )

アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)で投手としてプレー。35歳でデビューした、元教師の新人ということで注目を集めた異色の大リーガーである。

 1月19日、テキサス州ブラウンウッドで生まれる。レンジャー短大から1983年、第二次ドラフト1巡目指名を受けてミルウォーキー・ブリュワーズに入団。マイナーのルーキー級に配属され、3勝6敗の成績を残した。1984年はA級に昇格し、8勝をマークして期待されたが、85年は故障がちで振るわなかった。1986年は左肩を手術してシーズンを全休し、87年に再起を目ざしたが4試合の登板で解雇。1988年もふたたび手術を受けてリハビリに費やし、89年はシカゴ・ホワイトソックスのマイナーA級で再スタートを切ったが、この年も故障で2試合しか投げられず、同年限りで野球界から引退した。その後、高校の野球部で監督をしていたが、1999年に野球部の選手たちとの約束でデビルレイズの入団テストを受けることになって合格。左肩はみごとに回復していた。AA級、AAA級を経て、その年のうちに大リーグへ初昇格し、5試合に登板。2000年も救援としてワンポイントで起用され、16試合に登板した。シーズンオフに解雇され、一度はロサンゼルス・ドジャースと契約したが、引退した。2002年、自伝が映画化(邦題『オールド・ルーキー』)された。

 2年間の通算成績は、登板試合21、投球回15、0勝0敗、防御率4.80、奪三振13、完投0、完封0。

[山下 健]

『ジム・モリス、ジョエル・エンゲル著、松本剛史訳『オールド・ルーキー 先生は大リーガーになった』(2001・文芸春秋)』


モリス(Charles William Morris)
もりす
Charles William Morris
(1901―1979)

アメリカの哲学者。コロラド州デンバーに生まれる。ウィスコンシン大学およびノースウェスタン大学で学び、シカゴ大学大学院で学位をとる。長くシカゴ大学教授を務めたのち、フロリダ大学教授となる。

 ウィーン学団の統一科学運動をシカゴに迎え入れ、ノイラート、カルナップとともに『統一科学の国際百科全書』(1938年より刊行、1969年第2巻完結)を編集する。ここで彼は、論理実証主義プラグマティズムという二つの経験主義的理論を統一するものとして「記号論」を提唱した。それは記号間の関係を扱う「統語論」、記号と対象との関係を扱う「意味論」、記号と解釈者との関係を扱う「語用論」の三つに分けられる(『記号論の基礎』1938)。この構想はのちに行動主義の立場から再編成される(『記号・言語・行動』1946)。そのほかに、人間のさまざまな生き方を分類した『人生の道』(1942)、各国の人々の価値観の相違をアンケート調査に基づいて明らかにした『人間の価値の諸相』(1956)などの著書がある。

[魚津郁夫 2015年10月20日]


モリス(Ivan Morris)
もりす
Ivan Morris
(1925―1976)

イギリスの日本文学研究家、翻訳者。ロンドン生まれ。「紫式部の文体」でロンドン大学より学位取得。『光源氏の世界』でダフ・クーパー賞を受賞。コロンビア大学東洋学部長、国際アムネスティ・アメリカ支部長として活躍。大岡昇平『野火』、三島由紀夫『金閣寺』、丸山真男(まさお)『現代政治の思想と行動』などを翻訳。私小説の始発を森鴎外(おうがい)の『舞姫』に指摘し、戦後文学の終焉(しゅうえん)を太宰治(だざいおさむ)の自殺に明証するなど、近代文学の史的構造に独自の分析を試みた。日本翻訳出版文化賞を受けた『枕草子(まくらのそうし)』(1967)の翻訳と研究で国際的名声を確立。主著『挫折(ざせつ)の高貴性――日本史の悲劇の英雄』(1975)は、三島由紀夫に捧(ささ)げられ、日本民族の精神史的研究の画期的成果として欧米の知識人に衝撃を与えた。A・ウェーリーの直弟子である。

[千葉宣一]

『斎藤和明訳『光源氏の世界』(1969・筑摩書房)』『斎藤和明訳『高貴なる敗北――日本史の悲劇の英雄たち』(1981・中央公論社)』


モリス(Wright Morris)
もりす
Wright Morris
(1910―1998)

アメリカの小説家。ネブラスカ州生まれ。自在で鋭い想像力と旺盛(おうせい)な創作力をもち、土着性と国際性を備えた、現代アメリカ文学の特異な存在である。全米図書賞を受賞した代表作『視界』(1956)は、メキシコの闘牛場を背景に、アメリカ人グループの過去と現在を、視点の手法を駆使して描いた、アメリカ探究の力作である。ほかに『ダドレーおじさん』(1942)、『食人種の中の愛』(1957)、『ローン・ツリーの祝宴』(1960)、『火の説教』(1971)など多数の長編小説を書いている。得意の写真にテクストを組み合わせた『居住者たち』(1946)、『家郷』(1948)、『情事――ベニスの日記』(1972)のほか、評論集として『彼方(かなた)の土地』(1958)、『小説について』(1975)などがある。

[武藤脩二]

『武藤脩二訳『視界』(1974・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モリス」の意味・わかりやすい解説

モリス
Morris, William

[生]1834.3.24. エセックス,ウォルサムストー
[没]1896.10.3. ハマースミス
イギリスのデザイナー,工芸家,詩人,社会運動家。ビクトリア朝の装飾芸術に革命をもたらし「近代化の父」とされる。オックスフォード大学のエクセター・カレッジではのちに画家となったエドワード・バーン=ジョーンズと,卒業後は詩人で画家のダンテ・ゲーブリエル・ロセッティと親交を結ぶ。建築装飾の仕事に打ち込み,1861年には装飾美術関係の制作会社を仲間とともに設立。以後は主として,植物モチーフを自然の姿に近い形で文様化した平面デザインを手がけ,壁紙,染色,織物,カーペット,ステンドグラスなどを制作。文学面では『地上楽園』 The Earthly Paradise (1868~70) により詩人として名声を博し,『裂かれる海の物語』 The story of Sundering Flood (1898) などのような空想物語を次々と発表。また,ケルムスコット印刷工房を設立 (1890) して活字のデザイン,造本印刷まで一貫して手がけ,中世のゴシック書体を復興させ,『チョーサー著作集』など 53種もの本を発刊した。一方,人間味のある製品こそ真の美術品であるとの主張に立って,「アーツ・アンド・クラフツ運動」というデザイン運動を興し,社会改革のための言論活動を積極的に行なった。この人間性追究のデザインは,アール・ヌーボー (世紀末芸術) に直接的な影響を及ぼした。

モリス
Morris, Robert

[生]1931.2.9. ミズーリ,カンザスシティー
[没]2018.11.28. ニューヨーク,キングストン
アメリカ合衆国の美術家。ミニマル彫刻(→ミニマリズム)と個性的なパフォーマンスで 1960~70年代の前衛芸術運動(→アバンギャルド)に大きく貢献した。カンザスシティー美術研究所,カリフォルニア美術学校,リード・カレッジを経て,ニューヨークのハンター・カレッジで学び,1967年からは同カレッジで教職についた。1957年サンフランシスコで初の絵画の個展を開く。ニューヨーク在住中の 1960年,特定空間における関係を示す作品群として,単色の大きな幾何学的彫刻の制作を始めた。この頃の作品は,装飾的趣向を必要最小限まで省略することで芸術をその本質に還元しようとするミニマリズムに多大な影響を与えた(→ミニマル・アート)。人間の行為と物体の関係を仕事の原理としたが,その振幅は大きく,プライマリー・ストラクチャーズ的立体や反形式主義的作品なども手がけたほか,ハプニングなどさまざまな形式での表現を試みた。

モリス
Morris, Charles William

[生]1901.5.23. デンバー
[没]1979.1.19. フロリダ,ゲーンズビル
アメリカの哲学者。シカゴ大学教授。記号論,意味論の分野で貢献,特に従来の論理実証主義に意味論的接近法を導入,科学的経験論を唱えた。宗教面でも一つの伝統にのみ執着せず,同時に多くの伝統にかかわる態度をとるべしとした。主著『精神についての6理論』 Six Theories of Mind (1932) ,『論理実証主義,実用主義,科学的経験主義』 Logical Positivism Pragmatism and Scientific Empiricism (37) ,『記号理論の基礎』 Foundations of the Theory of Signs (38) ,『記号,言語,行動』 Signs,Language and Behaviour (46) ,『人間価値の多様性』 Varieties of Human Value (56) ,『意味づけと意義』 Signification and Significance (64) 。

モリス
Morris, Gouverneur

[生]1752.1.31. ニューヨーク,モリサニア
[没]1816.11.6. ニューヨーク,モリサニア
アメリカの政治家。ニューヨーク植民地を支配した大土地所有者の一人で,独立革命では保守派として植民地の民主化には反対したが,イギリスからの独立は支持した。 1771年弁護士,78~79年大陸会議代表となり,G.ワシントンを支持した。 87年合衆国憲法制定会議では最終案を執筆。 89年フランスにおもむき,在住 10年,その間フランス革命に際会。 92年フランス駐在公使に任命されたが,革命の激化を公然と批判し,94年解任された。財政専門家として貨幣制度の確立に尽し,ドル,セントという名称を提唱した。『フランス革命日記』A Diary of the French Revolution (2巻,1939) を残した。

モリス
Morris, Wright

[生]1910.1.6. ネブラスカ,セントラルシティー
[没]1998.4.25. カリフォルニア,ミルバレー
アメリカの小説家。少年の頃ネブラスカ州の各地を転々とし,一時カリフォルニアのポモナ大学に学んだのち,ヨーロッパを放浪した。 1942年に処女作『ダドリーおじさん』 My Uncle Dudleyを発表。のち,メキシコの闘牛場を訪れたアメリカ人グループのひとりひとりに視点をおいた『視界』 The Field of Vision (1956) を発表し全米図書賞を得た。写真と文章を巧みに組合せた『居住者たち』 The Inhabitants (46) ,『情事』 Love Affair: A Venetian Journal (72) のような作品もある。大学の文学教育にもたずさわり,アメリカ文学論『彼方なる土地』 The Territory Ahead (58) を著わした。

モリス
Morris, Mark William

[生]1956.8.29. シアトル
アメリカの舞踊家,振付師。初めスペイン舞踊を学ぶ。 1976年ニューヨークに移り,M.ブラック,J.ロレンツにバレエを師事。 E.フェルド・バレエ団,ハナ・カーン舞踊団などを経て,80年自身の舞踊団を結成。客演振付師としても活躍し,アメリカン・バレエ・シアターのために M.バリシニコフ主演の『汝が瞳にて乾杯を』 (1988) を振付けるなどした。 88年ブリュッセルの王立モネ劇場に迎えられ,以後ここを本拠に活躍する。さまざまなジャンルの舞踊の動きを用いる折衷的な手法で,『スタバト・マテール』 (86) など宗教的な内容のものから,『ミソロジー』 (86) のようにストリップやプロレスを扱ったユーモラスなものまで作品の幅は広く,音楽もクラシックからカントリー・ウェスタンまで多彩に用いる。

モリス
Morris, Robert

[生]1734.1.31. リバプール
[没]1806.5.7. フィラデルフィア
アメリカ独立革命期の財政家,政治家。アメリカの独立には消極的で,大陸会議代表となったが,イギリスとの協調の夢を捨て切れず,独立宣言にも数週間遅れて署名。独立戦争の間,1776~78年植民地軍の資金調達の中心人物として多大の貢献をした。 81~84年連合政府の財務総監をつとめ,また連合政府海軍部の首脳であった。この間莫大な私財をたくわえ,81年フィラデルフィアの北アメリカ銀行創設に尽力。 89~95年上院議員,A.ハミルトンの財政政策を支持した。晩年,資産を商業,銀行業から引上げて土地投機にあて,失敗し破産した。

モリス
Morris, Lewis

[生]1726.4.8. ニューヨーク,モリサニア
[没]1798.1.22. ニューヨーク,モリサニア
アメリカ独立革命期の政治家。ニューヨークの大土地所有者。 1746年エール大学卒業,62年以降植民地政治に活動して,イギリスの統制政策を批判するにいたる。 75~76年大陸会議のニューヨーク代表。独立宣言採択のときフィラデルフィアを留守にし,76年末署名。 77~90年断続的にニューヨーク邦 (州) 上院議員をつとめた。

モリス
Morris(Morrison), Clara

[生]1846/1848.3.17. トロント
[没]1925.11.20. コネティカット,ニューケーナン
アメリカの女優。子役として舞台生活に入り,1870年ブロードウェーにデビュー,マクベス夫人 (1875) やジェーン・エア (78) などで好評を博した。 85年病気のため引退,以後文筆にたずさわり,著書に『わが生涯の物語』 The Story of My Life (1904) などがある。 1904年回復して舞台に戻り,05年以後ときどきボードビルに出演。

モリス
Morris, Sir Lewis

[生]1833.1.23. カーマゼン
[没]1907.11.12. ペンブリン
イギリスの詩人。ウェールズ出身。オックスフォード大学に学び,ウェールズ大学の設立に尽力。『両世界の歌』 Songs of Two Worlds (1872) ほか6巻の詩集がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報