グラクソ・スミスクライン(読み)ぐらくそすみすくらいん(英語表記)GlaxoSmithKline PLC

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

グラクソ・スミスクライン
ぐらくそすみすくらいん
GlaxoSmithKline PLC

イギリスの大手医薬品企業。略称GSK。1995年医薬品大手のグラクソGlaxoがウェルカムWellcomeと合併してグラクソ・ウェルカムとなったのち、2000年にスミスクライン・ビーチャムSmithKline Beechamと合併、世界最大規模の医薬品グループを形成した。

[田口定雄]

グラクソ・ウェルカムの歴史

グラクソ

1873年にイギリス出身のジョセフ・ネーサンJoseph Nathanが、ニュージーランドで設立したジョセフ・ネーサン社が起源である。1904年ネーサンはロンドンに輸出する粉ミルクの生産を始め、1906年「グラクソ」の商標を登録、1908年、乳児向けの粉ミルクで著名になった同社は、グラクソ事業部をロンドンに開設してイギリスに進出した。1924年ビタミンD製剤を開発したのを契機に医薬品事業に参入。1935年グラクソ・ラボラトリーズを設立。この会社が1947年にジョセフ・ネーサン社を吸収合併して親会社となり、同年ロンドン証券取引所に上場した。1948年には悪性貧血治療用のビタミンB12の単離に成功、また結核治療用のストレプトマイシンの生産を開始した。1955年以降1960年代にかけて、動物薬や医薬品、薬品卸売、外科用機器、乳児向け食品企業を買収する一方、1960年代なかばにステロイド皮膚病薬、1969年には喘息(ぜんそく)薬、経口抗生物質セファロスポリンを発売。1981年、抗潰瘍(かいよう)剤「ザンタックZantac」が発売され、1980年代なかばまでに世界的なベストセラー薬となり、これを背景に研究開発を強化した。

[田口定雄]

ウェルカム

1880年、2人のアメリカ人薬学士、サイラス・バローズSilas Burroughs(1846―1895)とヘンリー・ウェルカムSir Henry Wellcome(1853―1936)がロンドンで設立した合名会社バローズ・ウェルカムBurroughs Wellcome & Co.が起源である。当初は、1884年に「タブロイド」の名称で商標登録した、圧縮錠の形での医薬品販売がおもな活動であった。バローズ死去後はウェルカムが事業を引き継ぎ、医薬品生産と研究開発を拡大、世界各地に進出した。1924年、これらの事業と関連の研究機関を統合してウェルカム財団Wellcome Foundation Ltd.を設立、ヘンリー・ウェルカム死後は、ウェルカム財団の全株式がイギリスの医学研究公益信託「ウェルカム・トラスト」に贈与された。同社は抗菌剤、抗マラリア剤、白血病薬、抗ヒスタミン剤、風疹(ふうしん)ワクチンやヘルペス治療薬など抗ウイルス薬、AIDS(エイズ)治療薬など多くの新薬を開発、医学研究でも数人のノーベル賞受賞者を出している。

[田口定雄]

スミスクライン・ビーチャムの歴史

スミスクライン・ビーチャムは、1989年にイギリスのビーチャム・グループThe Beecham Group PLCとアメリカのスミスクライン・ベックマンSmithKline Beckmanとが合併して誕生した。

[田口定雄]

ビーチャム・グループ

1842年イギリスでトーマス・ビーチャムThomas Beechamが下剤を発売して成功し、1859年イングランド北西部のセント・ヘレンズに世界初の医薬品専用工場を開設したのに始まる。1924年新しい経営者のもとで多角化を図り、1938~1939年に歯磨き粉栄養ドリンク整髪料などのトイレタリー製品企業を買収した。1943年基礎医学研究に着手、1959年半合成ペニシリンをはじめとする抗生物質で一連の成果をあげた。1960年代なかばから多数の内外企業買収により化粧品やワイン貿易、住宅改修製品などの分野に進出した。事業見直しの結果、1986年に13の事業から撤退し、処方薬と市販薬を中心に収益力を強化した。1989年、アメリカの医薬品大手スミスクライン・ベックマンを買収、英国籍のスミスクライン・ビーチャムに統合した。

[田口定雄]

スミスクライン

創業者ジョン・K・スミスが1830年にフィラデルフィアで始めた薬局を起源とする。1841年にジョン・K・スミス社John K Smith & Co.を設立、1875年にスミスクラインに社名変更した。1883年基礎的医薬品生産のためのラボを開設、1886年小規模な研究所を設置した。1891年に香水メーカーと合併、スミスクライン・フレンチと改称。その後、製品の多角化が進められたが、1929年に研究に重点を移す方針から、社名にラボラトリーズを加えた。1950年代には向精神薬「トラジンThorazine」を発売し、精神疾患治療を一新した。1952年に初の徐放性(成分が徐々に放出される)の医薬品を発表、1960年、新薬物送達システムのかぜ薬「コンタックContac」を発売した。1976年消化器潰瘍の治療を変革した初のH2ブロッカー「タガメットTagamet」を発売。1982年には眼科、皮膚科製品のアラガン社を買収、さらに診断薬・機器専門企業ベックマン・インスツルメントと合併してスミスクライン・ベックマンと改称した。1988年ベックマン医療機器部門の分離など大規模事業再編に着手、1989年にビーチャムと合併した。

[田口定雄]

事業内容

医薬品企業の世界的な再編が進むなか、2000年グラクソ・ウェルカムとスミスクライン・ビーチャムの合併によってグラクソ・スミスクラインが発足した。事業内容は、主軸の医療用医薬品のほか、ワクチン、OTC薬(一般用医薬品・大衆薬)、口腔(こうくう)衛生製品、栄養・健康ドリンクなどの消費者向けヘルスケア製品などの開発、製造、販売を行う。2001年の売上高は204億8900万ポンドに上り、うち医療用医薬品が84%、消費者向けヘルスケア製品が16%を占める。

[田口定雄]

その後の動き

グラクソ・スミスクラインの2008年の売上高は243億5200万ポンド。うち医療用医薬品が84%、消費者向けヘルスケア製品が16%を占める。

 日本では、1950年代から合併前の各社が、日本の販売会社や合弁会社を通じて活動してきた。2001年(平成13)に日本法人のグラクソ・スミスクラインとスミスクライン・ビーチャム製薬の合併が完了し、グラクソ・スミスクラインとなった。また、2006年には住友化学の保有していた株式(15%)を取得し、100%グラクソ・スミスクライン・グループ会社となった。2008年の売上高は2162億5300万円。従業員数約3200人。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

グラクソ・スミスクライン
GlaxoSmithKline plc

イギリスに本社を置く薬品会社。アメリカ合衆国やヨーロッパを中心に研究開発施設をもつ。主事業は医療用医薬品,感染症に対するワクチン製造。ほかに口腔ケア製品,市販薬,栄養ドリンク,禁煙薬の販売といったヘルスケア事業まで幅広く展開する。前身は 1715年にロンドンで設立された薬局プラウ・コート・ファーマシーで,ニュージーランドで設立されたグラクソ(1873設立)に吸収された。その後グラクソは 1世紀以上にわたる多くの組織との合併を経てグラクソ・ウエルカムに名称を変更。2000年にアメリカの薬品会社スミスクライン・ビーチャム(1830設立)を買収し,現名称となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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