翻訳|Christology
三位一体論とともにキリスト教教義の中核をなすもの。古代教会において激しい論争があったが,その後も絶えずとらえ直されてきたのは,これが神学の根本構造にかかわっているからである。
(1)原始教会では,イエスは最初比較的単純にユダヤ教の用語をもって〈キリスト〉(メシア=神によって油注がれて王となった者),〈神の子〉と呼ばれ,また世の終りに再び来て〈神の国〉を完成する者と信じられていた。しかしキリスト教がパレスティナを出てヘレニズム世界に入るとこのキリスト理解に変化が生じ,神秘宗教的にイエスを神的人間と見なし,〈キュリオスkyrios〉(主)と呼ぶようになった。パウロはこの呼び名を用いてはいるが,内容的にはイエスの十字架・復活がイエスをして神の子・キリストたらしめていると考え,すでにユダヤ教に見られる〈養子説adoptionism〉に従って,ダビデの子が神の子とされたと語った。《ヨハネによる福音書》や《エペソ人への手紙》はキリスト先在を語っているが,これは思弁的なものではなく,神の永遠の救いの計画と受肉によるその実現を表している。
(2)2世紀以後の古代教会では,まずイエスを神のロゴスとする〈ロゴス・キリスト論logos Christology〉が起こった。これはキリストが肉体をとったのは仮の現れにすぎないというグノーシス的〈ドケティズム〉に対立して主張された。ユスティノス,オリゲネス,テルトゥリアヌスら多くの教父が,ストア学派やアレクサンドリアのフィロンのロゴス説を用いてこれを弁証した。しかし3世紀後半に入ると,主としてアンティオキア学派の中から〈モナルキアニズム〉が現れた。それは父なる神の独一の働きを強調するもので,〈養子説〉と〈天父受苦説patripassianism〉とがある。前者はユダヤ教にさかのぼるもの,後者は子の姿は父の様態にすぎないとする〈様態説modalism〉に対してテルトゥリアヌスが与えた論争語である。アリウスはキリストの従属性を強調して,父と子の〈同質〉を主張するアタナシオスとの間に大論争を行った。アリウス説はニカエア・コンスタンティノポリス信条(381)において退けられ,ここに正統的教義が確立した。このとき,キリストの人性の完全性を否定するアポリナリウスも退けられたが,続いてネストリウスは逆に人性を第一として神性を弱め,あるいはエウテュケスは人性を神性の中に吸収するなど,神性・人性の区別を明らかにしない〈単性論〉が行われた。これを排したのはカルケドン信条(451)の〈両性論dyophysitism〉であって,〈両性は混合せず分離せず〉というのがその表現である。
(3)古代教会の信条は本質や本性といった抽象的概念を用いての形式的規定にとどまっていたが,中世のカトリック教会は西方教会の赦罪論を受けて,キリストの位格のみならず,その業(わざ)についての考察を進めた。すでにアウグスティヌスは,キリストを預定された人々の頭(かしら)として,そこに救いの業の確かさを見た。アンセルムスは贖罪をキリスト受肉に結びつけ,贖罪は〈神人〉としてのキリストにおける神と人間の意志の一致によって起こるもので,それは単に神による悪魔の征服ではないと論じた。しかしカトリック教会は通常人間の自由意志の功績を認める功徳説や協働説をとるので,こうした考えを受け入れず,これを一面的な〈完償説theory of satisfaction〉としてかえって退けた。
(4)宗教改革者のキリスト論は,キリストの業を歴史と状況に即してとらえるカトリック教会の伝統の中で起こっている。ルターは説教を神のことばの遂行として重視し,これに聖礼典と等価の位置を与えて,その中で起こるキリストとわれわれとの一致を〈喜ばしい交換〉と呼んだ。それはキリストの義がわれわれに,われわれの罪がキリストに帰せられるということで,キリストの代理的な贖罪を説き,かつこれをキリストの祭司職の遂行と見たのである。ここでは教会が赦罪権を持つという考えや功徳説は排除される。カルバンはこの〈職〉という概念を重視し,キリストにおける両性の一致は仲保者に与えられた預言者・祭司・王の三つの職の遂行にあるとした。これはルターの状況的な考え方に残るあいまいさを除去してはいるが,ロゴスは受肉にもかかわらずその外にとどまるとされ(いわゆるカルバン的外部extra calvinisticum),これをめぐってルター派との間に長い論争が生じた。また改革派内部でも教会と国家をめぐる新しい問題が生じた。K.バルトは改革派に属するが,キリスト論を神学の一部ではなく全部に及ぶものとした。そこで受肉を三位一体といっしょに啓示論の中におき,預定説ではキリストを選びの客体であるとともに主体でもあるとして,その外部に隠れたものを認めない。さらにキリストの三つの職を和解論の中におき,国家や歴史をも和解というキリストの業の対象としてとらえている。これは両性の一致というカルケドン信条を中立的な本性実体の概念から解放して,終末論的にとらえ直したものである。
→イエス・キリスト →三位一体
執筆者:泉 治典
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…ギリシア哲学の素養をつんだ知識人が改宗しだすと,当然,信条の内容を哲学的に解釈しようとした。そこで問題となったのが三位一体論とキリスト論で,前者に対する疑問はキリスト従属論として現れた。アリウスがその代表で,ニカエア公会議(325)はアリウスを異端としたが,この問題は4世紀の教会を計り知れぬ混乱に陥れ,最終的にはコンスタンティノープル公会議(381)で三位一体論が確定した(〈ニカエア・コンスタンティノポリス信条〉)。…
※「キリスト論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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