日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンシデラン」の意味・わかりやすい解説
コンシデラン
こんしでらん
Victor Considérant
(1808―1893)
フランスの社会主義者。理工科大学(エコール・ポリテクニク)出の工兵士官であったが、1832年フーリエの思想に共鳴してユートピア的協同体「ファランジュ」建設運動に参加。1837年、師フーリエ亡きあとフーリエ派の総帥として『平和的民主主義』紙などを中心に理論活動や選挙改革運動に取り組んだ。1848年の二月革命では臨時政府を支持、ルイ・ブランのリュクサンブール委員会にも加わった。社会的共和主義の立場を明確にして1848年4月以降国会議員を務めたが、1849年6月、ルイ・ナポレオンのローマ出兵に抗議する共和派の蜂起(ほうき)に連座して訴追され、ベルギーに亡命した。1854年末アメリカのテキサスに渡り、再度「ファランジュ」建設を試みたが失敗に終わり、1869年に帰国後は第一線を退いた。主著『社会主義の原理』(1847)はマルクスの『共産党宣言』(1848)に多大の影響を与えたといわれている。
[谷川 稔]