日本大百科全書(ニッポニカ) 「リュクサンブール委員会」の意味・わかりやすい解説
リュクサンブール委員会
りゅくさんぶーるいいんかい
Comité de Luxembourg フランス語
1848年の二月革命によって成立したフランスの第二共和政臨時政府が設置した「労働対策委員会」の別名。パリのリュクサンブール宮に本拠を置いたためにこのようによばれた。臨時政府は、閣内の社会主義者ルイ・ブランと労働者のアルベールの提唱により労働者の生活権の保障を宣言、これを裏づけるためルイ・ブランを議長とするこの委員会を設置し、労働者の実態および労働条件、生活状態の調査と、その改善策の立案とにあたらせた。委員会は、労働者の各種コルポラシオン(職能団体)の代表から構成され、労働時間の短縮、労働請負制の廃止を政府に布告させ、失業問題の解決やストライキなどの労資紛争の調停にあたったが、資金的裏づけを欠いたために実効をあげることができず、深刻な経済恐慌に苦しむ労働者の基本的要求にこたえることができなかった。こうして同年6月、国立工場の閉鎖を契機として起こったパリの労働者の暴動に際しては、なんらの指導性も調停者としての機能さえも果たしえず、暴動鎮圧後、消滅の方向をたどった。
[桂 圭男]