1847年末の共産主義者同盟第2回大会の委託をうけてマルクスとエンゲルスが執筆したこの同盟の綱領で,48年2月末ロンドンで刊行された。同大会で採択された規約とともに同盟の前身義人同盟にみられた秘密結社的色あいを払拭する画期的な綱領であったが,本書はむしろ今日の共産主義ないし科学的社会主義運動の起点をなす歴史的文書として知られる。〈ヨーロッパには妖怪が出る--共産主義という妖怪が〉で始まる本書は4章からなる。第1章ブルジョアとプロレタリアでは,〈これまでの社会の歴史はすべて階級闘争の歴史である〉との見地から,近代工業の発展がもたらすブルジョアジーとプロレタリアートの二大階級の対立が明らかにされる。第2章プロレタリアと共産主義者では,プロレタリアートの階級への形成および労働者革命における課題と共産主義者の任務,第3章社会主義的および共産主義的文献では,従来のさまざまな傾向をもつ社会主義・共産主義諸思潮にたいする批判と評価が示され,第4章種々の野党にたいする共産主義者の立場では,ヨーロッパ諸国の革命運動への支持とともに,既存の社会組織の強力的転覆による共産主義の実現という見解が表明されて,〈万国のプロレタリア団結せよ〉と結ばれている。
最初ドイツ語で出版され,すぐに英語・フランス語・ロシア語訳があらわれたが,革命運動の基本文献として広く読まれ多くの民族の言語に翻訳・紹介されるようになったのは,1870年代に始まるマルクス主義の普及以後である。日本での翻訳は,1904年幸徳秋水・堺利彦訳が第3章をのぞいて《平民新聞》に載り即日発禁になったのが最初で,06年雑誌《社会主義研究》には両者訳による全文が掲載されたが,太平洋戦争終結以前は本書の公刊が禁止され,秘密出版で読みつがれた。中国語による完訳は1920年の陳望道(1890-1977)訳が最初であるが,それより先,朱執信は1906年,中国同盟会の機関誌《民報》にマルクス伝を載せ,《共産党宣言》の階級闘争説に力点をおいて紹介している。
執筆者:篠原 敏昭
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科学的共産主義の最初の綱領的文書。その初版は1848年2月ロンドンで発行されたが、全文わずか23ページの薄緑色のドイツ語小冊子であった。その表紙には、標題のほか、「万国のプロレタリア団結せよ」が小さな活字で刷ってある。当時のヨーロッパの政治情勢において非公然の国際的労働者組織であった共産主義者同盟の公然たる党綱領として、マルクスとエンゲルスが執筆したもの。『宣言』に展開されている基本的考え方は、経済的生産と経済的仕組みが政治の土台をなすこと、原始共産制の崩壊以後、人間社会の歴史は階級闘争の歴史であること、現代においてそれはブルジョアジーとプロレタリアとの間の階級闘争となっていること、その際プロレタリアの歴史的使命は、単にブルジョアジーの支配と抑圧から自己を解放するにとどまらず、社会から階級支配そのものをなくすことにある、というものである。『宣言』は社会主義文献のなかでもっとも著名で、またもっとも世界的に普及している。現行の『宣言』には、マルクスとエンゲルスのいくつかの序言(1872年から93年にわたる)が加えられているが、これらは『宣言』発表以後の労働運動の成果を反映しており、『宣言』そのものに対する重要な補足という意味をもっている。
[安藤 実]
『マルクス、エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』(岩波文庫)』▽『マルクス、エンゲルス著、ML研究所訳『共産党宣言 共産主義の原理』(大月書店・国民文庫)』
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マルクスとエンゲルスとが共産主義者同盟のために起草,1848年2月に発表。資本主義の発展をあとづけ,階級闘争におけるプロレタリアートの立場を明確にしたもの。マルクス主義の成立を画する基本文献。
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[マルクスとエンゲルスの階級論]
サン・シモンの時代のフランスはなお産業革命の本格的展開の直前にあたっていたので,彼のいう〈ブルジョア〉は近代産業の所有者・経営者ではなくて法律家・軍人・金利生活者のことであり,〈産業者〉というのは近代産業の労働者ではなくて農業者・製造業者・商業者のことであった。これに対して,産業革命以後の社会における階級構造を,近代的大企業の所有者・経営者としてのブルジョアジーと,その下で生産活動に従事する労働者としてのプロレタリアートとの二大階級から成るものとし,農民・小工業者・小商人・小金利生活者などの中間階級はしだいにプロレタリアートに転落していく,という新たな定式化を提出したのが,マルクスとエンゲルスの《共産党宣言》(1848)であった。マルクスとエンゲルスが当時立てていた見通しによれば,資本主義の発展とともにブルジョアジーは強大になるけれども,これにともなってプロレタリアートはそれよりはるかに大量になり,組織化され,ブルジョアジーに対する闘争力を高め,最後にはプロレタリアートが階級闘争の勝利者になる,とされた。…
…K.マルクスの用語ではないが,内容的には彼の学説の一面をなし,労働者階級の団結により資本主義を廃止して社会主義を実現しようとする運動の重要な論拠を示すものとみなされてきた。
[マルクスの窮乏化説]
彼はたとえばエンゲルスとの共著《共産党宣言》でもすでにほぼつぎのように述べていた。すなわち,封建社会の没落から生まれた近代ブルジョア社会は,さまざまな下層の中産階級をプロレタリアに転落せしめ,ブルジョアジーとプロレタリアートとの二大階級に全社会の階級対立をますます単純化していく。…
…同じ時期のイギリス,フランスで社会主義という言葉が用いられるようになっていたが,社会主義がもっぱら生産手段の社会的所有ないし国有化を唱えたのに対して,共産主義は消費財を含めた財産のより徹底した平等化を主張した。マルクスとエンゲルスが1847年に共産主義者同盟Bund der Kommunistenの委嘱を受けて《共産党宣言》を執筆したときには,社会主義と共産主義の区別は明確に意識されていた。1888年にエンゲルスが英語版《共産党宣言》のために書いた序文によると,社会主義がイギリスのオーエンやフランスのサン・シモンとフーリエの思想のような空想的社会主義を指し,これらの思想家が労働運動の外に立っていたのに対して,〈労働者階級の中にあって,たんなる政治的革命では無力であると信じ,社会の根本的変革が必要であると宣言した人々は,いずれもみずから共産主義者と称した〉という。…
…4,5,7,8月号の5号で資金難のため廃刊。創刊号には週刊《平民新聞》(53号)に掲載して発禁となった《共産党宣言》全文を載せた。クロポトキン,エンゲルス,リープクネヒト,カウツキーらの論文を訳載したり,世界の社会主義運動のいち早い紹介をした。…
…浙江省金華県人。1919年中国で初めて《共産党宣言》を翻訳した(署名陳仏突)。日本の早稲田大学,東洋大学で文学,社会学を学び,帰国後《民国日報》《新青年》などを編集,復旦大学中国文学系主任などを経て,新中国成立後,復旦大学校長,民主同盟中央委員,全国人民代表大会上海代表,科学院哲学社会科学部委員などを歴任した。…
…この弱点は幸徳の執筆で有名な〈与露国社会党書〉(第18号)の〈断じて闘ふべきの理有るなし〉という非戦論にも表れている。また〈嗚呼(ああ)増税〉(第20号)で堺が筆禍事件を起こし,創刊1周年に《共産党宣言》の訳出で発禁処分を受け,幸徳,堺,西川らが起訴された。 そのほか〈平民文庫〉を次々に発行し社会主義の啓蒙を行った。…
…平均の発行部数は3000~4000部程度であった。しかし,日露戦争中における果敢な言論活動や,日本で初めての《共産党宣言》訳載などのため,政府からたびたび弾圧を受け,罰金・印刷機没収等により資金が圧迫されたうえ,堺らが投獄され,05年1月29日マルクスの《新ライン新聞》終刊号にならった全紙赤刷りの第64号をもって廃刊した。(2)日刊《平民新聞》 週刊《平民新聞》廃刊後,路線上の対立から運動は沈滞したが,外遊していた幸徳の帰国を機に06年末平民社が再興され,その機関紙として07年1月15日に創刊された。…
… 46年に革命運動の組織的実践を開始,当時在住したブリュッセルを本拠にF.エンゲルスたちと組んで〈共産主義(国際)通信委員会〉を設立,その中心となった。その当時,ドイツ人労働者(職人)の共産主義組織〈義人同盟〉に分派闘争が発生,旧来のカリスマ的指導者W.ワイトリングを追い落とした新指導部のK.シャッパーやJ.モルたちと連携して〈共産主義者同盟〉に改組(1847),この組織の綱領として《共産党宣言》(1848)を執筆した。48年,ドイツ三月革命が勃発すると帰国,ケルンを拠点にして活躍し,《新ライン新聞》を刊行する。…
… やがて日露戦争に対する非戦論の主張・運動のなかで,幸徳秋水,堺利彦らは平民社を設立し,《平民新聞》を発行して社会主義運動の中心となったが,治安警察法による弾圧の下で解散せざるをえなくなる。その後1906年,堺利彦は雑誌《社会主義研究》を発刊し,マルクス主義の理論的研究とその普及を行い,幸徳・堺訳の《共産党宣言》,リープクネヒト《マルクス伝》やカウツキー《エンゲルス伝》,クロポトキン《無政府主義の哲学》,エンゲルス《科学的社会主義》などの翻訳が掲載された。その間,平民社解散後アメリカに渡った幸徳秋水は,アメリカで労働運動とアナーキズムに接し,06年に帰国,アナルコ・サンディカリスムの立場から直接行動論を唱えて,議会主義の立場をとる片山潜や西川光二郎らと対立した。…
…この変化は,早くも1830年代末に,イギリス労働者の最初の自己解放運動であるチャーチスト運動の中に民主主義を名のる団体が現れたこと,二月革命の最中にフランスで,より人民的な民主主義という意味で〈社会民主主義〉という言葉が用いられはじめたこと,同じ1848年のドイツ革命でも各地に民主主義を称する団体が生まれたことなどの中に現れている。マルクスが《共産党宣言》(1848)の中で,〈労働者革命の第一歩は民主主義を戦いとることである〉と述べたのもその一つであった。
[伝統的価値観の反撃・対応]
これらの運動は,いずれも民主主義とともに正義を唱えて大衆の政治参加を強く主張し,普通選挙権を求める点で一致していたが,こうした具体的要求を掲げた労働者の戦闘性は,単に支配層ばかりでなく伝統的な価値観一般に対しても深刻な衝撃を与えずにはいなかった。…
※「共産党宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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