コンラッド(読み)こんらっど(英語表記)Joseph Conrad

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンラッド」の意味・わかりやすい解説

コンラッド
こんらっど
Joseph Conrad
(1857―1924)

イギリスの小説家。本名はヨゼフ・テオドール・コンラード・ナリェンチ・コルジェニオフスキ。帝政ロシア治下のポーランド、ボドリア県ベルディチェフで12月3日に生まれる。両親はいずれも地主貴族階級出身で、父アポロペテルブルグ大学に学び、文学的素養の深い知識人。愛国心が強く、祖国独立のため地下運動に走り、ロシア官憲に逮捕され、流刑に処せられた。7歳で母を、11歳で父を失い孤児となったコンラッドは、以後、母方の伯父の手で育てられるが、やがて海にあこがれ、16歳で単身マルセイユに行き、フランス船の船員となる。20歳のときたまたまイギリス船に乗り組み、これを契機に英語を覚え始めたという。船員生活は1894年(37歳)まで続くが、この間に船長の資格をとり、また帰化手続を済ませイギリス国籍を得ている。彼が訪れた地域は、西インド諸島、東南アジア、オーストラリアをはじめ、アフリカの奥地コンゴ川上流にまで及び、この時期の体験や見聞が、のちに多くの作品の素材となった。

 創作欲に駆られ、海上生活中に書き始めた『オールメイアの阿房宮(あぼうきゅう)』は、5年がかりで脱稿し1895年に出版された。第三作『ナーシサス号の黒人』(1897)は野心自負に満ちた作品で、彼の言によれば、「真の芸術家として立つか立てぬか、この一作に賭(か)けた」ものだった。これは批評家の認めるところとなり、彼の出世作となった。以後約15年間に、代表作、問題作の多くが書かれた。1913年『運命』が成功してようやく暮らしも楽になり、有名作家となるが、むしろ経済的に逼迫(ひっぱく)しつつ不慣れな英語に苦闘していた時期に優れた作品が多い。長編では『ロード・ジム』(1900)、『ノストローモ』(1904)、『密偵』(1907)、『西欧の眼(め)の下に』(1911)、中・短編では『青春』(1898)、『闇(やみ)の奥』(1899)、『台風』(1902)、『秘密の共有者』(1907)などがよく知られている。1924年8月3日、ケント州で没した。

 当初コンラッドは、ロマンチックな海洋小説作家あるいは異国情緒の冒険ロマンス作家とみられがちだったが、これは題材や物語の舞台にとらわれた皮相的見方で、今日では、人間の内奥に迫る倫理的作家とされている。文明の陰に潜む悪、物欲がもたらす精神的荒廃、社会的責任と裏切りなど倫理的主題に鋭い感覚をもつ。彼の文学的業績は1940年代以降改めて注目を浴び、現代文学に通じる作家として、高い評価を受けた。

[高見幸郎 2019年1月21日]

『井内雄四郎訳『密偵』(1974・河出書房新社)』『篠田一士訳『世界文学全集42 西欧の眼の下に』(1970・集英社)』『中野好夫編『コンラッド』(1966・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンラッド」の意味・わかりやすい解説

コンラッド
Conrad, Joseph

[生]1857.12.3. ウクライナ,ベルジチェフ
[没]1924.8.3. ケント,ビショップスボーン
ポーランド生れのイギリスの小説家。本名 Józef Teodor Konrad Nalecz Korzeniowski。独立運動の闘士であった父の流刑地で幼時期をおくり,海に憧れ,長じてフランス船に船員として乗組んだ。その後イギリス船に移り,船長免許を取得,1886年イギリスに帰化,94年船を降り,執筆に専念。処女作『オールメイヤーの阿呆宮』 Almayer's Folly (1895) 以後,『ナーシサス号の黒人』 The Nigger of the "Narcissus" (97) ,『ロード・ジム』 Lord Jim (1900) ,短編『青春』 Youth (02) ,『台風』 Typhoon (03) など,海洋を舞台にした小説で有名になった。海は彼にとって象徴的な意味を有していたが,単なる海洋小説作家ではなく,代表作はコンゴを舞台にした『闇の奥』 Heart of Darkness (02) ,南アメリカの小国における革命動乱を背景とする『ノストローモ』 Nostromo (04) で,近年その評価がとみに高まっている。

コンラッド
Conrad, Charles, Jr.

[生]1930.6.2. アメリカ,ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]1999.7.8. アメリカ,カリフォルニア,ロサンゼルス郊外
アメリカの宇宙飛行士。海軍に入隊 (1953) 。テストパイロットなどを経て,1962年第2期宇宙飛行士の1人に選ばれた。 65年8月ジェミニ5号で L.クーパーとともに地球を 128周。 66年9月にはジェミニ 11号で R.ゴードンとともに地球を 47周し,その間標的のアジェナ衛星とドッキングに成功。次いで 69年 11月 14日に打上げられたアポロ 12号でゴードン,A.ビーン両飛行士とともに月に向い,史上2度目の月着陸に成功した。

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