日本大百科全書(ニッポニカ) 「サクラソウ」の意味・わかりやすい解説
サクラソウ
さくらそう / 桜草
[学] Primula sieboldii Morr.
サクラソウ科(APG分類:サクラソウ科)の多年草。地中浅くに根茎があり、よく繁殖して群生する。葉は数枚根生し、長楕円(ちょうだえん)形で縁(へり)に切れ込みがあり、柔毛を密生し、葉柄は長い。4~5月、20センチメートルほどの花茎を出し、先端から車軸状に紅紫色の花を数個開く。花は5弁、径約2センチメートル、花弁の先端に切れ込みがあり、基部は筒状となる。萼(がく)は5裂する。雄しべ5本、雌しべは1本。雄しべの位置と雌しべの花柱の長さの関係により、長花柱花、短花柱花の違いがあり、これは株によって決まっており、サクラソウの仲間に共通の特徴として知られている。
四国と沖縄を除く各地の高原、原野に自生し、朝鮮半島から中国東北部、シベリアにも分布する。花弁の形や花色に変異が出やすく、選抜された園芸品種が多数ある。サクラに似た花形からサクラソウの名がある。ニホンサクラソウとよぶこともあるが、日本だけにあるのではなく大陸にも分布するので、この呼び名は適切ではない。
サクラソウ属はヒマラヤを中心にした北半球の高地や寒地に約550種分布し、日本には十数種が自生する。中部地方から東北地方、北海道の一部の高山の雪田にはハクサンコザクラ(ナンキンコザクラ)、ヒナザクラ、ユキワリソウ、ユキワリコザクラ、オオサクラソウが、北海道にはエゾコザクラなどいずれも高山生の小形種が多く、関東地方中部以西にはカッコソウ(関東・四国地方)、イワザクラ(中部・四国・九州地方)、コイワザクラ(中部・関東地方)など山地生の中形種が多い。山地の渓流に多いクリンソウ(北海道、本州、四国地方)はもっとも大形で、花穂は数層も段咲きとなる。
毎年秋または春に株分けし、用土を取り替え、新根を張らせるようにする。用土は腐葉土を混ぜた培養土を用いる。暑さと乾燥に弱く、ことに高山生の種は、日よけと灌水(かんすい)に注意して夏越しさせる。
[鳥居恒夫 2021年3月22日]
文化史
サクラソウは万葉・平安の書物には顔を出さない。その栽培は江戸時代に盛んになり、後期に多数の品種が出現するが、前・中期にはまだ少ない。日本最古の園芸書『花壇綱目(かだんこうもく)』(1681)には、「花薄色、白、黄あり」と二つの色変わりをあげるが、黄色とあるのはクリンソウと思われる。江戸の園芸が花開いた元禄(げんろく)時代(1688~1704)でも、貝原益軒の『花譜(かふ)』(1694)に紫と白、紅黄色の3品種、伊藤三之丞(さんのじょう)の『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』(1695)に紫と白の2品種しかみられず、続く『地錦抄付録』(1733)で8品種とナンキンコザクラが図示された。江戸でサクラソウが流行するのは安永(あんえい)年間(1772~1781)以降で、『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830)に「安永七、八年さくら草のめずらしきが流(はや)り、檀家(だんか)の贈り物として数百種を植え作る」とある。1804年(文化1)からは花の美しさを競う花闘(かとう)が始められた。また、幕末には『桜草百品図』(行方水谿(なめかたすいけい))が出る。
野生のサクラソウは全国的に数を減らしており、サクラソウの自生地である埼玉県さいたま市の田島ヶ原(たじまがはら)は、1952年(昭和27)に特別天然記念物に指定された。
[湯浅浩史 2021年3月22日]