ジミーカーター(英語表記)Jimmy Carter

現代外国人名録2016 「ジミーカーター」の解説

ジミー カーター
Jimmy Carter

職業・肩書
政治家 カーター・センター会長 元米国大統領(第39代)

国籍
米国

生年月日
1924年10月1日

出生地
ジョージア州プレーンズ

本名
カーター,ジェームズ〈Carter,James Earl Jr.〉

学歴
ジョージア工科大学卒,米国海軍兵学校〔1946年〕卒

受賞
ノーベル平和賞〔2002年〕,世界メソジスト平和賞〔1984年〕,シュヴァイツァー賞〔1987年〕,オナシス財団賞〔1991年〕,国際ケア賞(第1回)〔1993年〕,フルブライト国際理解賞〔1994年〕,ユネスコ平和賞〔1995年〕,ルイス・マンフォード平和賞,国連人権賞〔1998年〕

経歴
1946年任官したが’53年父の死で退役、ピーナツ農園を経営。’63〜67年ジョージア州上院議員、’71〜75年同州知事。’76年民主党大統領候補に指名され、現職の共和党フォードを破って当選、’77年1月第39代大統領となった。黒人問題で進歩的立場に立ち、外交面では中国との全面的国交の回復、ソ連との戦略兵器制限条約など、人権外交を展開した。’80年の大統領選でレーガンに敗退し、’81年1月退任。’82年ジョージア州に非政府組織のカーター・センターを設立。以後民間外交に積極的に関与。’91年7月カーター・センターを本部として設立された国際交渉ネットワーク協議会会長に就任。’86年アフリカ、アジア諸国の村々で発生していたギニア病根絶のため、飲料水の濾過方法を伝えるキャンペーンを行う。’94年6月北朝鮮を訪問、金日成主席と会談し、核問題における対話路線や南北首脳会談開催などの仲介役を務める。同年9月ハイチへの米軍侵攻危機にあたってはハイチ軍指導部の退陣説得に努め、12月にはボスニア・ヘルツェゴビナ和平調停を行った。’97年7月事実上の特使として訪中。’99年6月に行われたインドネシア総選挙の国際監視団団長となる。2002年5月米国の元大統領として初めてキューバを訪問。同年12月国際紛争の解決に尽力し、民主主義人権の発展に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞。著書に「なぜベストをつくさないか」「カーター回顧録〈上・下〉」「ジミー・カーターのアウトドア日記―冒険と思索の日々」などがある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ジミーカーター」の解説

ジミー カーター
Jimmy Carter


1924.10.1 -
米国の政治家。
元・アメリカ大統領。
ジョージア州プレーンズ生まれ。
ジョージア工業大学卒,海軍兵学校(’47年)卒。
1947年アメリカ海軍に入隊し、第二次大戦の後将尉に任官し、原子力潜水艦の開発に従事した。父の死後家業のピーナッツ農場を継いで成功を納め、’62年民主党からジョージア州上院議員、’70年同州知事に当選し、’74年に大統領選出馬を表明し、’76年当選。外交面ではパナマ運河の条約締結。イスラエル、エジプト両大統領の平和工作が成功するなどの功績があったが、イランの米大使館人質事件を解決できず、’80年の選挙でレーガンに大敗した。’94年クリントン政権の下で北朝鮮、ハイチへの特使を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ジミーカーター」の解説

ジミー カーター

生年月日:1924年10月1日
アメリカの政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android