現代外国人名録2016 の解説
ジャン・リュック ゴダール
Jean-Luc Godard
- 職業・肩書
- 映画監督,脚本家
- 国籍
- スイス
- 生年月日
- 1930年12月3日
- 出生地
- フランス・パリ
- 学歴
- ソルボンヌ大学中退
- 受賞
- ジャン・ヴィゴ賞〔1960年〕「勝手にしやがれ」,ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞,第10回)〔1960年〕「勝手にしやがれ」,ベルリン国際映画祭審査員特別賞(第11回)〔1961年〕「女は女である」,ベネチア国際映画祭審査員特別賞(第23回・28回)〔1962年・1967年〕「女と男のいる舗道」「中国女」,ベネチア国際映画祭金獅子賞(第40回)〔1983年〕「カルメンという名の女」,ベネチア国際映画祭プレジデント金メダル賞(第48回)〔1991年〕「新ドイツ零年」,セザール賞名誉賞〔1998年〕,世界文化賞(演劇・映像部門,第14回)〔2002年〕,カンヌ国際映画祭審査員賞(第67回)〔2014年〕「さらば、愛のことばよ」
- 経歴
- パリのブルジョワ家庭に生まれる。様々な職についた後、映画の編集ラボラトリーで仕事をするようになり映画に興味をもつ。1952年より映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」などに批評を書くようになり、後のヌーベルバーグの仲間と知り合う。’54〜58年5本の短編映画を監督。’59年トリュフォーの協力によって書かれたシナリオを元に即興演出によって貫かれた長編劇映画「勝手にしやがれ」(公開は’60年)を製作、センセーションを巻き起し、以後ヌーベルバーグの代表的監督として活躍。’60〜67年最初の妻となるアンナ・カリーナが主演する作品を発表し、最も華やかなゴダール=カリーナ時代を形成する。’68年の五月革命の前後10年間は方法論的試行を重ね、’79年「勝手に逃げろ/人生」で商業映画界に復帰。近年はスイスを拠点に、公私ともにパートナーであるアンヌ・マリー・ミエヴィルとの共同作業で製作活動を続ける。2000年製作に10年の歳月をかけた4時間半に及ぶ大作「ゴダールの映画史」(1998年)を世界で初めて日本で劇場公開する。2010年エマニュエル・ローラン監督によるドキュメンタリー映画「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」が公開され、話題を呼んだ。他の代表作には「小さな兵隊」(1960年)、「女は女である」(’61年)、「女と男のいる舗道」(’62年)、「軽蔑」(’63年)、「恋人のいる時間」(’64年)、「アルファヴィル」「気狂いピエロ」(’65年)、「メイド・イン・USA」(’67年)、「中国女」(’67年)、「パッション」(’82年)、「カルメンという名の女」(’83年)、「ゴダールのマリア」(’84年)、「ゴダールのリヤ王」(’87年)、「右側に気をつけろ」(’87年)、「新ドイツ零年」(’91年)、「ゴダールの決別」(’93年)、「ロシアに遊ぶ子供たち」(’94年)、「JLG/自画像」(’95年)、「フォーエバー・モーツァルト」(’96年)、「愛の世紀」(2001年)、「アワーミュージック」(2004年)、「ゴダール・ソシアリズム」(2010年)、「さらば、愛のことばよ」(3D映画,2014年)、出演作品に「そして愛に至る」(2002年)などがある。2002年36年ぶりに来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報