日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ジョンソン・エンド・ジョンソン
じょんそんえんどじょんそん
Johnson & Johnson
アメリカの大手医薬品、医療用製品、消費者向け製品の製造グループ。略称J&J。
1886年、ニュー・ジャージー州ニューブランズウィックで創業者ロバート・ウッド・ジョンソンRobert Wood Johnson(1845―1910)が2人の弟とともに設立した会社が発祥である。当初は、包帯、ガーゼ、縫合糸など外科医向け医療用品のメーカーであった。「ジョンソン・ベビー・パウダー」(1893年発売)、医療用テープの中央にガーゼをつけた救急絆創膏(ばんそうこう)「バンドエイド」(1921年発売)など、今日世界的にも広く知られるベストセラーを生み出して消費者製品の基盤を築く一方、1916年織物生産のチコピーChicopee Manufacturing Corp.、1927年生理用品のパーソナル・プロダクツPersonal Products Co.など、関連分野の企業買収により事業の多角化に着手した。海外事業は1919年のカナダを手始めに、1924年イギリス、1930年代にはメキシコ、オーストラリア、ラテンアメリカに進出。1944年、ニューヨーク証券取引所に上場、同族経営から株式会社に移行した。
医薬品分野では、1959年処方薬メーカーのマクニール・ラボラトリーズMcNeil Laboratories, Inc.を買収、1960年にアスピリンに代わる市販用の鎮痛・解熱剤「タイレノールTYLENOL」を発売、1961年スイスの医薬品会社シラグ・ケミーCilag-Chemie、ベルギーの大手医薬品会社ヤンセンJanssen Pharmaceuticaを買収して世界的基盤を固めた。1980年代なかばからは、研究開発予算を急増して医療用医薬品分野の強化を図った。OTC薬(大衆薬・一般用医薬品)では、1989年メルクMerck & Co., Inc.との折半出資で合弁会社のJ&J・メルク・コンシューマー・プロダクツJohnson & Johnson-Merck Consumer Pharmaceuticals Co.を設立、北アメリカからヨーロッパまで活動範囲を広げている。バイオテクノロジー分野でも、1990年オーソ・バイオテクOrtho Biotech Productsを設立して進出、1999年にはバイオ医薬のセントコアCentocor,Inc.と合併した。なお、「タイレノール」はその後ドラッグストアの最大のヒット商品になったが、1980年代なかばに毒物混入事件が生じたため、同社はカプセル入り製品の生産を中止、店頭からすべて回収して対処した(タイレノール事件)。
一方、消費者向け製品分野でも、企業買収と多国籍化で成長を続けた。ドイツの生理用品のドクター・カール・ハーンDr. Carl Hahn G.m.b.H.買収(1973)、フロンティア・コンタクト・レンズFrontier Contact Lenses買収(1981)、ドイツのベビー用品最大手のペンタン・グループPenaten G.m.b.H.買収(1985)、フランスのロックRoC S.A.買収(1993)、ニュートロジーナNeutrogena Corp.買収(1994)、S・C・ジョンソンのスキンケア製品部門買収(1999)などはその例である。医療用製品でも1994年にイーストマン・コダックEastman Kodak Co.から臨床診断薬事業を買収、1996年には心臓・循環器治療用製品のコーディスCordis Corp.買収、1998年整形外科用製品のデピューDePuy買収などにより事業を拡大した。さらに、2006年にはファイザーPfizer Inc.の消費者向け健康医薬品部門を買収、2009年には美容関係の医薬品で知られるメントールMentor Corp.を買収した。
J&Jグループは機能別の分社方式をとり、世界57か国、250社以上の企業群で構成されている(2011)。2010年の売上高は616億ドルである。
日本では、1978年(昭和53)に日本法人ジョンソン・エンド・ジョンソンが設立され、社内カンパニー制により、医療機器・医療関連製品、消費者向け製品、使い捨てコンタクトレンズ(商品名「アキュビュー」など)の三つの事業分野が分社分権経営されている。ほかに国内グループ会社として、医療医薬品を扱うヤンセンファーマ、臨床診断検査薬・機器を扱うオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックスがある。
[田口定雄]
『山下辰夫・中村元一著『成功経営の法則――ジョンソン・エンド・ジョンソンのグローバル・スタンダード』(2001・ダイヤモンド社)』