ジラール(読み)じらーる(英語表記)René Girard

精選版 日本国語大辞典 「ジラール」の意味・読み・例文・類語

ジラール

  1. ( Prudence Séraphin Barthélemy Girard プリュダンス=セラファン=バルテルミー━ ) フランス人宣教師パリ外国宣教会所属。安政六年(一八五九来日。文久元年(一八六一)横浜に日本最初の天主堂建立。日本のカトリック教会基礎を築いた。横浜で没。(一八二一‐六七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジラール」の意味・わかりやすい解説

ジラール(René Girard)
じらーる
René Girard
(1923―2015)

フランス出身で、アメリカで活動した文芸批評家。アビニョン生まれ。パリの古文書学院で学位を取得後、1947年にアメリカに移住し、インディアナ大学で学び、1950年に歴史学の学位を取得。同大学でフランス語の講師を務めたのを皮切りに、ジョンズ・ホプキンズ大学ニューヨーク州立大学などで教鞭をとった後、1981年にスタンフォード大学教授に就任、フランス語学・文学・文明の講座を担当する。フランス語と英語を自在に駆使し、2か国語で多くの著作、論文を発表する執筆活動を展開した。

 ジラールの理論は、しばしば、(1)模倣の理論、(2)欲望の三角形、(3)スケープゴート暴力理論といった用語によって説明される。これらの用語には、(1)欲望とは内在的なものではなく模倣的なものであり、人間は互いにその欲望を模倣しあう存在である、(2)人間の共同体は模倣への欲望によって緊張が高められ、その結果共同体の内部や複数の共同体同士の間では絶えず緊張・敵対関係が高まり、暴力が誘発されるが、その構造は三角形にたとえられる、(3)社会、文化、政治の根底にはこのような構造をもつ「本質的欲望」を回避するメカニズムがあり、多くの共同体では「本質的暴力」を回避する「けがれなき暴力」の対象としてのスケープゴートを有している、といった主張が展開されている。ジラールの理論はフロイトの強い影響を受けつつも、リビドーエディプス・コンプレックスの存在を虚構として退けている点や、文化人類学的、社会学的な要素を多く取り入れている点に強い独自性が認められ、人文系、社会系を問わず多くの論者によって参照、引用されてきた。ジル・ドルーズとフェリックス・ガタリは『アンチ・オイディプス』(1972)において、エディプスコンプレックス効力を認めないジラールの立場を揶揄したが、ジラールは『地下室の批評家』(1976)で、これを同一性を認める、純粋差異による空論として反論した。

 そのほかの著作には『欲望の現象学』(1961)、『暴力と聖なるもの』(1972)、『世の初めから隠されていること』、『ミメーシスの文学と人類学――ふたつの立場に縛られて』(ともに1978)などがある。長らく、旧約聖書・新約聖書やギリシア悲劇などを題材とした宗教、神話、儀礼テクストの分析や解釈を仕事の中心としていたが、『羨望の炎』(1991)では一転してシェークスピアの作品解釈に取り組んだ。

[暮沢剛巳]

『古田幸男訳『欲望の現象学――文学の虚偽と真実』(1971・法政大学出版局)』『古田幸男訳『暴力と聖なるもの』(1982・法政大学出版局)』『小池健男訳『世の初めから隠されていること』(1984・法政大学出版局)』『織田年和訳『地下室の批評家』(1984・白水社)』『浅野敏夫訳『ミメーシスの文学と人類学――ふたつの立場に縛られて』(1985・法政大学出版局)』『M・ドゥギー、J・P・デュピュイ著、古田幸男ほか訳『ジラールと悪の問題』(1986・法政大学出版局)』『小池健男訳『邪な人々の昔の道』(1989・法政大学出版局)』『小林昌夫・田口孝夫訳『羨望の炎――シェイクスピアと欲望の劇場』(1999・法政大学出版局)』『西永良成著『個人の行方――ルネ・ジラールと現代社会』(2002・大修館書店)』


ジラール(Prudence-Seraphin-Barthélemy Girard)
じらーる
Prudence-Seraphin-Barthélemy Girard
(1821―1867)

日本再宣教後、初のフランス人カトリック司祭。1847年パリ外国宣教会に入り、1848年に香港(ホンコン)に派遣された。1855年琉球(りゅうきゅう)国(沖縄県)那覇に赴き、日本語を勉強しながら入国の機会をうかがっていた。1857年から1866年まで日本代牧区の教区長代理を務めた。1859年(安政6)フランス領事館付き司祭兼通訳として横浜に上陸。1862年(文久2)横浜に日本最初の天主堂を建設した。天主堂には大ぜいの人々が押しかけてきたので、幕府は不意に同心を遣わして参観者55人を捕らえ、ジラールにいっさいの説教を禁じた。1867年(慶応3)横浜で死去。

[宮崎賢太郎 2018年2月16日]

『浦川和三郎著『切支丹の復活 前編』(1927・日本カトリック刊行会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジラール」の意味・わかりやすい解説

ジラール
Girard, Jean Baptiste

[生]1765.12.17. フライブルク
[没]1850.3.6. フライブルク
フランス系スイス人の教育家。ジラール神父,グレゴアール神父の名で知られ,スイスでは「第2のペスタロッチ」として崇敬された。 17歳でフランシスコ会に入り,ルツェルンで聖職者のための教育を受ける。さらにウュルツブルク大学で神学を学び,文化教育相の秘書,ベルンでの司牧を経て,教職生活に入った。まず 1804~23年フライブルクの小学校,次いで 34年までルツェルンのギムナジウムで教えた。以後引退してフライブルクで『母国語教授論』 De l'enseignement régulier de la langue maternelle (1834) および『教育学講義』 Cours éducatif (44~46) の著述に没頭した。ジラールの教育観は道徳的,宗教的分野を重視するもので規則や事実の詰込みを排し,児童の知性を刺激することを主張した。彼の著作は諸外国の教育に影響を及ぼした。

ジラール
Girard,René

[生]1923.12.25. アビニョン
フランスの批評家,思想家。パリの古文書学校,インディアナ大学に学び,アメリカの大学で教鞭をとる。相互模倣によって形成される「欲望の三角形」の仮説から,セルバンテス以降の近代小説を分析した『欲望の現象学-ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』 Mensonge romantique et vérité romanesque (1961) ,あらゆる文化の起源として,暴力およびその排除のための供犠を想定する『暴力と聖なるもの』 La Violence et le Sacré (1972) で脚光を浴びる。ほかに革新的な聖書読解『世の初めから隠されていること』 Des choses cachées depuis la fondation du monde (1978) ,『贖罪の山羊』 Le Bouc émissaire (1982) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ジラール」の解説

ジラール Girard, Prudence Séraphin Barthélemy

1821-1867 フランスの宣教師。
パリ外国宣教会にはいり,香港,琉球をへて安政6年(1859)日本教区長として来日,フランス領事館付司祭兼通訳となる。文久元年,開国後最初の天主堂を横浜居留地に建立した。慶応3年11月14日横浜で死去。46歳。

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