パリ外国宣教会(読み)ぱりがいこくせんきょうかい(英語表記)Société des Missions Étrangères de Paris フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パリ外国宣教会」の意味・わかりやすい解説

パリ外国宣教会
ぱりがいこくせんきょうかい
Société des Missions Étrangères de Paris フランス語

外国への宣教に専心した最初の、在俗司祭によるカトリック修道会。1653年フランソワ・パリュ、ピエール・ランベール・ド・ラ・モットらを中心にフランスで創設された。とくに極東、東南アジアを布教地とし、フランスのこの地域への文化的進出にも貢献した。日本も同会の重要な布教地で、すでに1844年(弘化1)には琉球(りゅうきゅう)(沖縄)に渡来、1858年(安政5)修好条約締結と同時に日本本土にも上陸した。長崎県大浦に天主堂を建て当地にいわゆる隠れキリシタン村落を発見したプチジャン、初代東京大司教オズーフなど、明治初年のカトリックの布教、司牧はほとんどこの会が担当している。

 パリ外国宣教会による文化的、社会的貢献も大きく、プチジャンらの出版事業、テストビド、ベルトランらの救らい事業、フロジャックの結核療養事業、ルマレシャル、ラゲらの辞書編纂(へんさん)、ラゲによる『新約聖書』翻訳、そのほか各種の学校経営など、日本のカトリック教会の基礎を築くと同時に、西欧文化の紹介、移入にも大きな役割を果たした。その後、日本では第一線での活動からは退いたが、第二次世界大戦後も1958年(昭和33)からふたたび新たに活動を始めている。

[鶴岡賀雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パリ外国宣教会」の意味・わかりやすい解説

パリ外国宣教会
パリがいこくせんきょうかい
Société des Missions Etrangères de Paris

司祭から成る最大のカトリック宣教会。 1660年頃海外宣教に従事していた司祭たちで形成され,63年パリに大神学校が開かれ,64年教皇庁の認可を得た。それまでの東洋布教におけるポルトガル独占に対抗して苦闘,やがて主導的地位を占めるにいたった。 19世紀に入ってから勢力は拡大し,1909年頂点に達した (司教 38,司祭 1377) が,この3世紀の間に 163名の殉教者を出した。なお近代日本のキリスト教復興に努めたのは同会で,布教と日本人司祭養成の面での活躍のほか,御殿場の復生院ほかの救癩,結核療養,ならびに製糸,製パン,農耕などの技術の伝播,さらに学問上もフランス語の教授,ラゲの『仏和辞典』,多くの日本研究などの成果をあげた。

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