大学教育に接続するドイツの中等学校。イギリスのグラマー・スクールやフランスのリセなどにほぼ相当する。古代ギリシアのギュムナシオン(青年期教育のための体操場または訓練所)がその語源。ドイツのギムナジウムはラテン語学校や古典語学校の創設に淵源があるが,1538年にシュトゥルムJohannes von Sturmにより設立されたシュトラスブルクの古典語学校以来,この名称が使われるようになった。大学進学のための中等教育機関として正規のギムナジウムが成立したのは,1812年のギムナジウム卒業試験規定において大学入学のための資格試験を実施する権限が認められたことによる。これによってギムナジウムは一般のラテン語学校と区別され,特権的な地位を占めるようになり,さらに19世紀を通じて古典的教養を中心とした人文主義的色彩の強いエリート養成の中等教育機関として整備されていった。第2次大戦後,単線型の統一的学校制度を採用した東ドイツとは対照的に,西ドイツにおいては,ワイマール時代以来の教育制度,すなわち共通の初等学校としてのグルントシューレGrundschule(4年)につづく中等教育機関としては,ハウプトシューレHauptschule(5年),レアルシューレRealschule(6年),ギムナジウム(9年)という3分岐の複線型制度を踏襲した。1960年代以降,これら3類型を統合するゲザムトシューレGesamtschule(イギリスのコンプリヘンシブ・スクールをモデルにした総合制中等学校)も実験的に試行され,一部実施されてきているが,なお上記の伝統的制度が大勢を占めている。また,90年の東西ドイツ統一以降,旧東ドイツ地域の各州においても旧西ドイツ型の制度が適用されつつある。伝統的なギムナジウムとしては,古典語ギムナジウム,近代語ギムナジウム,数学・自然科学ギムナジウムの3タイプがある。卒業試験が同時に大学入学資格試験であるという点にギムナジウムの大きな特徴があるが,近年,ギムナジウムへの進学率が高まるとともに,大学入学制限や大学教育の大衆化等の問題が生じている。
執筆者:平野 正久
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ドイツの伝統的な7年制または9年制の普通中等学校。大学に進学するためには、ギムナジウムの修了証であるアビトゥアAbitur(ドイツ語)を取得しなければならない。ギムナジウムには、古典語系、現代語系、および数学・自然科学系の3種類があり、同年齢集団の20~25%の者が就学している。このほかに新しいタイプのものとして、後期中等教育段階にあたる第11学年からの3年制の経済系、社会科学系などのギムナジウムもある。
[二宮 皓]
…それは各都市に盛んに造られるようになった工業学校のような施設で,ここでは各教科ごとにその目的に沿った設備をもつ教室が準備され,それぞれに専任の教員が配置されるというかたちが現れる。これとは別に,ドイツの私立学校(ギムナジウム)などでは,早くから生徒を年齢・進度別のグループに分けて学級を編制する方式が行われており,教室ごとに黒板が置かれ,それに向かって生徒たちの机が配置される近代的な教室ができ上がっていた。18世紀の啓蒙思想家たちは,新しい学校のあり方についてさまざまな提言をのこしているが,それらの多くは著しく管理・監督的な教育観に貫かれていて,学校を俗悪な日常的環境から切り離し,むしろ刑務所や矯正施設的なもの(パノプティコン)としてとらえる傾向があった。…
…1944年教育法(バトラー法)による公立中等学校の3種別構成で,モダン・スクール,テクニカル・スクールとは異なる,アカデミックな教科に重点を置く大学進学校として位置づけられた。こうしてドイツのギムナジウム,フランスのリセにほぼ対応するイギリス型のエリート選抜の中等学校として定着した。なお,アメリカでは17世紀に同名の学校が移植されたが,18世紀末以後のアカデミー,19世紀末以後のハイ・スクールに席を譲った。…
…
[教育改革]
70年代のドイツ社会で人心を沸騰させたのはなんといっても教育改革をめぐる諸問題である。西ドイツの学校制度は,それまでは,ギムナジウムから大学へ行き,学問によって社会の上層を占めるごく少数の者のためのコース(構成比15%,1963),実科学校から実業に就く者のためのコース(同12%),そして基幹学校Hauptschuleから職人や労働者や農民による大多数の者のためのコース(同70%)と截然と三分され,しかも人生のこの重大な決定が小学校4年段階で行われていた。このような制度が,19世紀以来,20世紀の社会的大変動や敗戦にもかかわらず大枠として続いていたのであり,いわばドイツ社会で数少ない文化的連続性を体現する制度であった。…
…また,王権が伸張しつつあった国では国語が統一化に向かい,フランスではパリ地方の方言であったフランス語が普及し始めた。 イタリアを起点としてヨーロッパ諸国に伝播したルネサンス(文芸復興)の運動は,学者によるギリシア・ラテンの古典研究を活発にさせると同時に,イタリア,フランス,ドイツ,イギリスにおのおの宮廷学校,コレージュ,ギムナジウム,ラテン文法学校(グラマー・スクール)の開設を促した。それらはキリスト教教育と古典教育とに基づく人間教育をめざし,おりから国家機構の整備にともなって増加した官僚の養成所として機能したのである。…
※「ギムナジウム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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