スバンドリオ(読み)すばんどりお(英語表記)Subandrio

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スバンドリオ」の意味・わかりやすい解説

スバンドリオ
すばんどりお
Subandrio
(1915―2004)

インドネシア政治家外交官。東部ジャワ生まれ。1942年ジャカルタ医科大学卒業。1947年情報次官、1954年初代駐ソ大使を経て1957年外相。華僑(かきょう)二重国籍問題、西イリアン解放など反帝反植民地の非同盟外交を推進。1963年第一副首相、外相、中央情報局長官を兼務、急進的スカルノ体制の一中心人物となる。1965年の「九月三〇日事件」に連座したとして逮捕、1966年軍事特別法廷において死刑判決を受けたが、1970年終身刑に減刑された。1995年8月、独立50周年を機に「老齢と健康悪化」を配慮して30年ぶりに釈放された。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スバンドリオ」の意味・わかりやすい解説

スバンドリオ
Subandrio

[生]1914. マラン
[没]2004.7.3. ジャカルタ
インドネシアの政治家。ジャカルタの医科大学卒業。学生時代より民族運動に従事し,第2次世界大戦中は反日地下運動で活躍戦後,外交官となり,1956年外務次官。 1957~66年スカルノ政権下で外務大臣として活躍。 1962年副首相兼務。 1965年の九・三〇事件後スカルノ派として批判され死刑の宣告を受けたが,1970年4月終身刑に減刑された。

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