スポンティーニ(その他表記)Gaspare Spontini

改訂新版 世界大百科事典 「スポンティーニ」の意味・わかりやすい解説

スポンティーニ
Gaspare Spontini
生没年:1774-1851

イタリアオペラ作曲家,指揮者。ナポリのピエタ音楽院に学ぶ。1803年フランスに渡り,ナポレオン皇妃付き作曲家となる。20-41年,プロイセン王の招きでベルリン滞在,宮廷礼拝堂音楽総監督を務める。パリを経て50年故郷に戻った。作曲家としては,19世紀最初の20年間の活動が最も重要であり,この間,彼はグルックの劇的な作曲法の理念に立ちつつ,第一帝政時代の趣味にふさわしい荘重華麗なオペラを作曲,この時代のフランス・オペラの中心的な存在となった。作品には《ウェスタ巫女》(1807),《フェルナン・コルテス》(1809),《オランピ》(1819)等がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スポンティーニ」の意味・わかりやすい解説

スポンティーニ
Spontini, Gaspare Luigi Pacifico

[生]1774.11.14. マヨラーティ
[没]1851.1.24. マヨラーティ
イタリアのナポリ楽派のオペラ作曲家。ナポリの音楽院で作曲と声楽を学んだのち,1796年ローマで最初の自作オペラを上演。 1803年パリに赴き,オペラ『ベスタの巫女』 La vestale (1807) を発表して好評を得た。次いで『フェルナンド・コルテス』 (1809) で大好評を博し,ヨーロッパでオペラ作曲の第一人者とされた。 1810年パリにあるイタリア劇場の指揮者。のちプロシアのフリードリヒ・ウィルヘルム3世の宮廷楽長 (1819~41) となり,その保護のもとで作曲に従事。 C.グルック,モーツァルトの影響を受け,フランス・オペラの始祖とも,またワーグナーの初期の作品に影響を与えたともいわれるが,ドイツ・オペラの隆盛とともに名声を失った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スポンティーニ」の意味・わかりやすい解説

スポンティーニ
すぽんてぃーに
Gaspare Spontini
(1774―1851)

イタリアのオペラ作曲家。マヨラーティ生まれ。1803年パリに移り、古典派のオペラにかわる新しいオペラを模索、歴史上のできごとを題材にした壮大な物語、スペクタクル的見せ場をもつグランド・オペラの基礎を築いた。1820年プロイセンの宮廷作曲家に招かれ1841年までベルリンに滞在した。マイヤベーア、ワーグナーにも影響を与えた『ベスタの巫女(みこ)』(1807初演)、『フェルナンド・コルテス、またはメキシコ征服』(1809初演)など27曲のオペラを作曲した。

[美山良夫]

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