日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
スロッビング・グリッスル
すろっびんぐぐりっする
Throbbing Gristle
インダストリアル・ミュージックの基礎を築いたイギリスのグループ。マンチェスターに生まれたジェネシス・P・オリッジGenesis P-Orridge(1950―2020)は、1969年ころから前衛アート・グループ、COUMトランスミッションズを組織し、メール・アート(手紙や葉書などの郵便媒体を用いた表現形式)やパフォーミング・アートを展開していた。そこにヌード・モデルやストリッパーをしていたコージー・ファニー・トゥティCosey Fanni Tutti(1951― )が参加、徐々に彼らのパフォーマンスに音響的要素が増すようになる。オリッジはピンク・フロイドやビートルズのジャケット制作で知られるデザイン・チーム、ヒプノシスのメンバーだったピーター・クリストファーソンPeter Christopherson(1955―2010)、そしてクリス・カーターChris Carter(1953― )をメンバーに加え、スロッビング・グリッスルは1976年に誕生する。
「痙攣する男根」というそのグループ名が示すように、彼らの音楽はさまざまな電子的雑音をテープ・コラージュやカットアップといった手法で編集し、性や死の強迫的イメージと混ぜ合わせ、大音量で激しくぶちまけるものであった。同じころイギリスで勃興したパンクとも呼応し、彼らはアート・シーン出身のパンク・グループと見なされることもあった。しかし、基本的に彼らの活動はパンク・ロックの直接性の帰結であるというよりも、産業社会を皮肉り批判するコンテンポラリー・アートの系譜に近い。自身のレーベル、インダストリアル・レコードからリリースされた実質的なファースト・アルバム『セカンド・アニュアル・レポート』Second Annual Report (1977)の盤面には「これはフェティッシュである」と記入されており、パンク的な暴力性すらも商品にする産業社会へのシニカルな認識がうかがえる。なお、インダストリアル・ミュージックというジャンル名は、このアルバムに記された「Industrial Music for Industrial People」というメッセージに由来する。
後期の『20ジャズ・ファンク・グレーツ』20 Jazz Funk Greats(1979。ポップスのベスト盤を皮肉ったタイトルであり、ジャケット写真でメンバーが健康的に微笑む緑豊かな崖が、実はイギリスの自殺の名所、イーストボーン近郊のビーチヘッドであったというオチがつく)では、ハウス・ミュージックにも通じる規則的電子ビートを中心に構成されたポップスを展開した。それは産業騒音すらも快楽として聴いてしまう現代人をシニカルに突き放すものであった。
5年間の活動期間中、6枚のアルバム(うち3枚がライブ・アルバム)と6枚のシングル、35本のカセットテープと数本のビデオテープをリリースした。1981年のサンフランシスコでのライブを終え、「スロッビング・グリッスルの任務は終結した」とのメッセージを残し、解散。その後オリッジとクリストファーソンはサイキックTV で活動、カーターとトゥティはクリス&コージー を結成した。
[増田 聡]