ロシアの作家、歴史家。地方の貴族の出身。モスクワで教育を受け、ノビコフらのフリーメーソンのグループの影響のもとに西欧の宗教・道徳的著作やシェークスピア、レッシングの作品を翻訳するかたわら、詩や小説を書き始めた。1789年に西欧へ旅行し、フランス革命を目の当たりにみて衝撃を受ける。帰国後、月刊雑誌『モスクワ・ジャーナル』を創刊して、自らの旅の見聞と思索をつづった『ロシア人旅行者の手紙』(1791~92)や、ロシア主情主義(センチメンタリズム)文学の代表作となる小説『哀れなリーザ』(1792)、『貴族の娘ナターリヤ』(1792)などを発表した。1802年から刊行した雑誌『ヨーロッパ報知』には『女代官マルファ』(1803)を掲載したが、これはロシア歴史小説の先駆的作品である。カラムジンの作品は、理性偏重の古典主義に対して個性の尊重と感情の解放を目ざす、主情主義とよばれる新しい傾向をロシア文学のなかに生み出した。繊細な感受性と人間的情熱を表現するために口語的要素を取り入れた新鮮な文体を編み出した点、フランス語などからの借用や新しい造語をふんだんに用いた点にその特徴があった。これに対しては古典主義的伝統を守ろうとする保守派が「ロシア語愛好者談話会」を結成したが、カラムジンの文章語改革を支持するグループは「アルザマス会」をつくってこれに対抗した。03年皇帝(ツァーリ)から「歴史編纂(へんさん)官」の称号と特別の年金を授けられたカラムジンは、その晩年を大著『ロシア国史』全12巻(1816~29)の執筆に没頭した。この歴史は華麗な文体で広く読まれたが、古文献を利用した史料的側面を除いては低い学問的評価が与えられている。専制政治と農奴制を擁護する保守的な思想は、11年皇帝に提出された覚書『古きロシアと新しきロシアについて』のなかに集約的に表現されている。
[中村喜和]
ロシアの作家,歴史家。地方の地主貴族の子で,早くからフリーメーソンのメンバーから影響を受けるとともに,西欧文学に関心をもった。1789-90年に西欧諸国を旅行するが,フランスでジャコバン派の恐怖政治を目のあたりにして,革命思想や啓蒙主義に反発し,君主政体を礼賛するようになった。帰国後雑誌を創刊して《ロシア人旅行者の手記》(1791-92)の一部や,《あわれなリーザ》(1792)をはじめとする小説や評論などを発表した。百姓娘の不幸な恋をその内面から描いた《あわれなリーザ》は,ロシア文学史において,形式主義と理性偏重の古典主義から,みずみずしい人間的感情の解放をめざすセンチメンタリズムへの移行を示す記念碑的な作品とされる。彼は教会スラブ語にもとづく重苦しい文体をしりぞけ,口語の要素を取り入れた新しい文章語をつくり上げた。西欧諸語からの借用語や彼自身の新造語で今日も使われているものが少なくない。この文体の革新は守旧派の反対をうけ,文壇は2派に分かれて対立した。しかし彼自身はこの論争に加わらず,1803年皇帝から〈歴史編纂官〉の称号を与えられ,《ロシア国家史》(1818-24)の執筆に没頭する。彼が晩年の20年あまりをついやしたこのロシア史は,保守的な君主主義者の立場から書かれたもので,12巻からなる大著であるが,膨大な史料を駆使した詳細な注と華麗な文体のわりには,学問的価値にとぼしい。
執筆者:中村 喜和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1766~1826
ロシアの文学者,歴史家。文学の面では『あわれなリーザ』などで人道主義的センチメンタリズムを,歴史の領域では『ロシア国家の歴史』などで専制君主の強力な中央集権を主張した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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