旧ソ連の小説家、劇作家。キエフ(キーウ)神学校教授である父の強い影響を受け、中世に造詣(ぞうけい)が深い。ドイツ浪漫(ろうまん)派、19世紀ロシア文学の伝統を20世紀においてもっとも忠実に受け継いでおり、とくにゴーゴリを崇拝する。キエフ大学医学部卒業後、地方病院勤務。第一次世界大戦中、赤十字に志願、前線で働く。1920年、医者を辞めてカフカスに行き、三編の戯曲を執筆。翌年モスクワ上京後、新聞に風刺作品を発表するかたわら、内戦の混乱と白衛軍の崩壊を『黙示録』になぞらえて描いた自伝的長編『白衛軍』を執筆。1922年から『ナカヌーネ(前夜に)』紙同人として活躍、ゴーゴリの『死せる魂』のパロディー『チチコフの遍歴』や、独特の象徴主義的手法による『赤い冠』などを発表する。1925年、一個人の破滅を現実と幻想の境界のあいまい化、事物の象徴化によって描く『悪魔物語』、H・G・ウェルズの影響を受けたSF『運命の卵』ほか三編を収めた短編集を発刊。同じころ『犬の心臓』が書かれるが、痛烈な政治批判からソ連国内ではいまも発禁となっている。1926年『トゥルビン家の日々』が上演され、白軍賛美のレッテルを貼(は)られる。続いて発表した喜劇が次々に上演禁止となる。1930年、スターリンの庇護(ひご)によりモスクワ芸術座の演出助手に就任。『死せる魂』を戯曲化し(1932)、芸術家と社会との軋轢(あつれき)を主題とする悲劇『モリエール』(1930)、『最後の日々(プーシキン)』(1936)を発表する。1929年から死の直前まで書かれた『巨匠とマルガリータ』は同様の主題をもつ一方、タイムマシンの介在により二つの時空間が平行的に描かれる喜劇『イワン雷帝』(1936)と同じく、人間の普遍的愚劣を暴露する。現実と幻想の交錯するなかで、キリスト教に根ざした深遠な思想が展開されるこの長編は、20世紀文学の最高峰の一つに数えられている。
[秋元里予]
『安井侑子訳『悪魔とマルガリータ』(1969・新潮社)』▽『水野忠夫訳『巨匠とマルガリータ』(『集英社版世界の文学4』所収・1977・集英社)』▽『水野忠夫訳『悪魔物語』(1971・集英社)』▽『水野忠夫訳『犬の心臓』(1971・河出書房新社)』
ロシアの神学者、経済学者。地方の司祭の子。少年時代唯物論に心酔し、モスクワ大学で経済学を専攻。ドイツで『資本主義と農業』(1898)を発表。帰国後キエフ(キーウ)工科大学で経済学を教える。この時代(1901~1906)マルキシズムから自由主義に転向し、かたわらソロビヨフの著作と聖書を耽読(たんどく)する。関心を宗教哲学に移し『マルキシズムからイデアリズムへ』(1903)を発表。ベルジャーエフとともに雑誌を発行、『道標(ベーヒ)』にも参加した。1910年フロレーンスキーと知り合い、しだいに神秘主義哲学に傾き、ソフィヤ論の研究に没頭し、『黄昏(たそがれ)ざる光』Свем Невечерний/The Unfading Light(1916)などを著す。彼のソフィヤ論は、ソロビヨフ、フロレーンスキーのそれを継承しつつも第四位格としての規定がより明確で、救済原理の面も強い。1923年国外追放され、1925年以降パリ正教神学校で教えた。
[御子柴道夫]
ソ連邦の作家。キエフ神学校教授の家庭に生まれ,1916年キエフ大学医学部を卒業し,医師となったが,ロシア革命後の国内戦の嵐のなかで文筆活動を開始した。21年にモスクワに出て,新聞の編集にたずさわりながら,短編を発表しはじめ,長編《白衛軍》を執筆した。キエフで経験したブルガーコフ自身の体験と密接に結びつき,〈革命とインテリゲンチャ〉の問題を主題としたこの作品は,1925年《ロシア》誌に第1部,第2部が掲載されたが,同誌の廃刊のために全編の発表はできなかった。作品集《悪魔物語》(1925)も革命後の社会に対する風刺がこめられていたため,批判を浴び,同年に書かれた《犬の心臓》とともに,ソ連時代には禁書とされていた。《白衛軍》をもとにした戯曲《トゥルビン家の日々》(1926)はモスクワ芸術座で上演され,大成功を収めたが,まもなく上演禁止となった。ブルガーコフは発表のあてもなく,文学の力を信じて,《劇場》(1966),《モリエールの生涯》(1966),《巨匠とマルガリータ》(1968)を書きつづけ,重病と失明のうちに亡くなった。死後活字となった作品の中で《巨匠とマルガリータ》は20世紀ロシア小説の傑作とされ,彼の再評価が行われつつある。
執筆者:水野 忠夫
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