ブルガーコフ(読み)ぶるがーこふ(その他表記)Михаил Афанасьевич Булгаков/Mihail Afanas'evich Bulgakov

デジタル大辞泉 「ブルガーコフ」の意味・読み・例文・類語

ブルガーコフ(Mikhail Afanas'evich Bulgakov)

[1891~1940]ソ連の小説家劇作家。幻想的手法と風刺によって革命後の現実を描き、暗に新政権を批判した。死後に公刊された長編小説巨匠マルガリータ」は、20世紀ロシア文学を代表する作品の一つとされる。他に小説「白衛軍」「犬の心臓」、戯曲「トゥルビン家の日々」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルガーコフ」の意味・わかりやすい解説

ブルガーコフ(Mihail Afanas'evich Bulgakov)
ぶるがーこふ
Михаил Афанасьевич Булгаков/Mihail Afanas'evich Bulgakov
(1891―1940)

旧ソ連の小説家、劇作家。キエフキーウ)神学校教授である父の強い影響を受け、中世に造詣(ぞうけい)が深い。ドイツ浪漫(ろうまん)派、19世紀ロシア文学の伝統を20世紀においてもっとも忠実に受け継いでおり、とくにゴーゴリを崇拝する。キエフ大学医学部卒業後、地方病院勤務。第一次世界大戦中、赤十字に志願、前線で働く。1920年、医者を辞めてカフカスに行き、三編の戯曲を執筆。翌年モスクワ上京後、新聞に風刺作品を発表するかたわら、内戦の混乱と白衛軍の崩壊を『黙示録』になぞらえて描いた自伝的長編『白衛軍』を執筆。1922年から『ナカヌーネ(前夜に)』紙同人として活躍、ゴーゴリの『死せる魂』のパロディーチチコフの遍歴』や、独特の象徴主義的手法による『赤い冠』などを発表する。1925年、一個人の破滅を現実と幻想の境界のあいまい化、事物の象徴化によって描く『悪魔物語』、H・G・ウェルズの影響を受けたSF『運命の卵』ほか三編を収めた短編集を発刊。同じころ『犬の心臓』が書かれるが、痛烈な政治批判からソ連国内ではいまも発禁となっている。1926年『トゥルビン家の日々』が上演され、白軍賛美のレッテルを貼(は)られる。続いて発表した喜劇が次々に上演禁止となる。1930年、スターリンの庇護(ひご)によりモスクワ芸術座の演出助手に就任。『死せる魂』を戯曲化し(1932)、芸術家と社会との軋轢(あつれき)を主題とする悲劇『モリエール』(1930)、『最後の日々(プーシキン)』(1936)を発表する。1929年から死の直前まで書かれた『巨匠とマルガリータ』は同様の主題をもつ一方、タイムマシンの介在により二つの時空間が平行的に描かれる喜劇『イワン雷帝』(1936)と同じく、人間の普遍的愚劣を暴露する。現実と幻想の交錯するなかで、キリスト教に根ざした深遠な思想が展開されるこの長編は、20世紀文学の最高峰の一つに数えられている。

[秋元里予]

『安井侑子訳『悪魔とマルガリータ』(1969・新潮社)』『水野忠夫訳『巨匠とマルガリータ』(『集英社版世界の文学4』所収・1977・集英社)』『水野忠夫訳『悪魔物語』(1971・集英社)』『水野忠夫訳『犬の心臓』(1971・河出書房新社)』


ブルガーコフ(Sergey Nikolaevich Bulgakov)
ぶるがーこふ
Сергей Николаевич Булгаков/Sergey Nikolaevich Bulgakov
(1871―1944)

ロシアの神学者、経済学者。地方の司祭の子。少年時代唯物論に心酔し、モスクワ大学で経済学を専攻。ドイツで『資本主義と農業』(1898)を発表。帰国後キエフ(キーウ)工科大学で経済学を教える。この時代(1901~1906)マルキシズムから自由主義に転向し、かたわらソロビヨフの著作と聖書を耽読(たんどく)する。関心を宗教哲学に移し『マルキシズムからイデアリズムへ』(1903)を発表。ベルジャーエフとともに雑誌を発行、『道標(ベーヒ)』にも参加した。1910年フロレーンスキーと知り合い、しだいに神秘主義哲学に傾き、ソフィヤ論の研究に没頭し、『黄昏(たそがれ)ざる光』Свем Невечерний/The Unfading Light(1916)などを著す。彼のソフィヤ論は、ソロビヨフ、フロレーンスキーのそれを継承しつつも第四位格としての規定がより明確で、救済原理の面も強い。1923年国外追放され、1925年以降パリ正教神学校で教えた。

[御子柴道夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルガーコフ」の意味・わかりやすい解説

ブルガーコフ
Mikhail Afanas'evich Bulgakov
生没年:1891-1940

ソ連邦の作家。キエフ神学校教授の家庭に生まれ,1916年キエフ大学医学部を卒業し,医師となったが,ロシア革命後の国内戦の嵐のなかで文筆活動を開始した。21年にモスクワに出て,新聞の編集にたずさわりながら,短編を発表しはじめ,長編《白衛軍》を執筆した。キエフで経験したブルガーコフ自身の体験と密接に結びつき,〈革命とインテリゲンチャ〉の問題を主題としたこの作品は,1925年《ロシア》誌に第1部,第2部が掲載されたが,同誌の廃刊のために全編の発表はできなかった。作品集《悪魔物語》(1925)も革命後の社会に対する風刺がこめられていたため,批判を浴び,同年に書かれた《犬の心臓》とともに,ソ連時代には禁書とされていた。《白衛軍》をもとにした戯曲《トゥルビン家の日々》(1926)はモスクワ芸術座で上演され,大成功を収めたが,まもなく上演禁止となった。ブルガーコフは発表のあてもなく,文学の力を信じて,《劇場》(1966),《モリエールの生涯》(1966),《巨匠とマルガリータ》(1968)を書きつづけ,重病と失明のうちに亡くなった。死後活字となった作品の中で《巨匠とマルガリータ》は20世紀ロシア小説の傑作とされ,彼の再評価が行われつつある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルガーコフ」の意味・わかりやすい解説

ブルガーコフ
Bulgakov, Mikhail Afanas'evich

[生]1891.5.15. キエフ
[没]1940.3.10. モスクワ
ソビエト連邦の作家。大学卒業後に医師となったが,数年後医師を辞め執筆活動を開始。風刺短編作家として出発し,1920~22年,道標転換派の同人として新聞『その前夜』Nakanuneに作品を執筆した。長編『白衛軍』Belaya gvardiya(1925),風刺短編『運命の卵』Rokovye yaitsa(1925),『悪魔物語』D'yavoliada(1925)などを発表,また『白衛軍』を元にした戯曲『トゥルビン家の日々』Dni Turbinykh(1926)をはじめ 10編近い戯曲を書いたが,その多くは発売禁止となり,戯曲『逃亡』Beg(1928)は約 30年後の 1957年に初演された。長編『巨匠とマルガリータ』Master i Margaritaは未発表のまま病死。この奇想天外な作品は 1966~67年に発表され大きな反響を呼んだ。

ブルガーコフ
Bulgakov, Sergei Nikolaevich

[生]1871.6.16. リブヌイ
[没]1944.7.12. パリ
ロシアの経済学者,神学者。司祭の家に生れ宗教教育を受けたが,マルクス主義の影響を受けて教会を去り,大学時代は経済学を専攻して,1901~18年キエフおよびモスクワ大学でマルクス主義経済学を教えた。革命後マルクス主義に幻滅し,N.ベルジャーエフ,P.ストルーベなどとともにロシア正教会に復帰。 18年司祭に任命されたが,23年故国より追放された。 25年パリに新設された正教会神学校教授となり生涯を神学体系の確立とエキュメニズム運動に尽した。主著『不滅の光』 (1917) ,『ヤコブの梯子』 (29) ,『神の仔羊』 (33) 。

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百科事典マイペディア 「ブルガーコフ」の意味・わかりやすい解説

ブルガーコフ

ロシア(ソ連)の作家。キエフ大学卒。革命後,ベルリンの〈道標転換〉派に属した。《運命の卵》(1924年)などグロテスクな風刺作品,戯曲《トゥルビン家の日々》(1926年),長編《白衛軍》(1924年)などで知られる。遺作に長編《巨匠とマルガリータ》(1966年―1968年発表)があり20世紀ロシア文学を代表する作品の一つと評価されている。

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