改訂新版 世界大百科事典 「クリュチェフスキー」の意味・わかりやすい解説
クリュチェフスキー
Vasilii Osipovich Klyuchevskii
生没年:1841-1911
ロシアの歴史家。ペンザ県の聖職者の家に生まれ,ペンザ神学校を経て,1865年モスクワ大学歴史・文献学部卒業。《歴史史料としての古代ルーシ聖者伝》(1872),学位論文《古代ルーシの貴族会議》(1882)などの業績をあげ,82年から師のS.M.ソロビヨフのあとをついでモスクワ大学教授となる。皇帝や貴族の動きを中心とする政治史を重視していた従来の研究傾向(国家学派)に対して,社会・経済史を重視し,《ロシアにおける農奴制の起源》(1885)などを発表した。専制政治に批判的で自由主義的改革を志向し,政治的にはカデットに近かった。モスクワ大学での講義にもとづく《ロシア史講義》(1904-22)は,帝政ロシア史学の金字塔であり,彼の方法や解釈は,今日にいたるまで,とくに欧米のロシア史研究に大きな影響を与えている。ソ連史学を代表するポクロフスキーは彼の弟子である。
執筆者:倉持 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報