改訂新版 世界大百科事典 「タスマニア人」の意味・わかりやすい解説
タスマニア人 (タスマニアじん)
オーストラリアのタスマニア島の先住民。人類文化の最古の姿を19世紀まで残していたとされるが,一体としてまとまった人骨は5体しか残されておらず,信頼しうる記録はないに等しい。起源については,アボリジニーが約1万年間大陸から隔絶していた結果変化したという説,ピグミーないしネグリトに由来するという説,ニューカレドニア島から漂着したとするメラネシア説があり,定説はない。第1の説は,オーストラリア先住民の起源に不確定な部分が多いので,論議はさらに細分化する。身体的特徴(暗褐色の皮膚,中身長,幅広い顔,広鼻,突出した前額,縮れ毛の黒髪など)はメラネシア説に有利とされる。文字をもたず,言語はd,f,v,s,zの子音をもたず,五つの方言に分かれていた。多くの低文化の社会にも見られる家畜としての犬もなかった。氏族制をもたず,一夫多妻家族が最小の社会単位として,遊動しつつ採集狩猟生活を送った。カンガルーを捕殺する集団猟や,7~8人乗りの樹皮製カヌーによるアザラシ猟もあった。主要な道具は槍,投げ棒,握斧(あくふ)型の石器であり,ブーメラン,楯,槍投げ器はなかった。宗教と葬制は明らかではない。1804年の推定人口2500~7000人は,白人による相次ぐ虐殺と白人のもちこんだ性病などの病気によって急減した。兵士2000人と3万ポンドを注いだ7週間にわたる1830年の大規模な先住民掃討作戦(ブラック・ウォーと呼ばれた)以降,残存する約300人(1830)は漸次,先住民保留地(フリンダーズ島,次いでホバート)に強制収容された。47年には47人にまで減少し,76年最後の純血のトゥルガニニ(女性)が死亡した。しかし,約100人の混血が残存しているので,流布している〈絶滅〉説は,正確にいえば誤まっている。彼らへの政府の施策は国内で最も遅れていて,その施策によって先住民が保有,管理する土地は1km2(1981)にすぎない。
執筆者:鈴木 二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報