知恵蔵 「チャールズ・マンソン」の解説
チャールズ・マンソン
マンソンは1934年11月12日、オハイオ州シンシナティで生まれた。母親は出産当時16歳で、父親は不明。母が育児を放棄し、犯罪者となったことから離別。10代前半から犯罪を繰り返した。67年以降にカリフォルニア州へ移り、信者を集めて「ファミリー」を形成、集団生活を始めた。
信者となったのは中流家庭出身の若者で、マンソンは終末論、ヒッピーの反権力主義、ビートルズの歌詞、独自に解釈した聖書、ヒトラーの言葉などによってファミリーを感化していった。自身をイエス・キリストの生まれ変わりだと思い込ませ、薬物などによって信者を支配した。
信者の1人であるスーザン・アトキンスは69年8月9日、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で妊娠8カ月だったテートを胎児とともに自宅で殺害。信者らは同宅に居合わせた著名な美容師のジェイ・セブリングなど3人も刃物や銃で残虐に殺した。10日にはラビアンカと妻のローズマリーも殺害した。これらロサンゼルスに住む富裕層を狙った一連の殺人は「テート・ラビアンカ事件」として当時、国内外で大きく報道された。マンソンは現場にいなかったものの、信者たちを指示していたとされる。
マンソンと信者3人は70年6月にロサンゼルスで起訴され、マンソンには死刑判決が下っていたが、カリフォルニア州で最高裁によって死刑が違憲と判断されたため、終身刑に減刑された。約40年間で12回の保釈申請を行い、却下されている。
「ファミリー」が引き起こした事件は、書籍や映画、音楽の題材となった。米国のポップ・カルチャーにおいてマンソンは悪の象徴と位置付けられ、そのイメージは多くの音楽家や芸術家によって使われた。マンソンは獄中で曲を作って演奏し、それがレコーディングされ、販売されもした。また、米国のロックバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」などが楽曲をカバーしている。
(若林朋子 ライター/2017年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報