翻訳|eschatology
世界と人間(個人を含む)の究極的運命に関する教説。西欧語は〈最後eschatosのことについての教えlogos〉を意味するギリシア語eschatologiaに由来し,ユダヤ・キリスト教的伝統において特異な歴史観として発展をみた。キリスト教の終末論は旧約聖書にさかのぼるが,最初からこれがあったのではない。イスラエル宗教は超越神の存在とともに,この神による世界と人類の創造を強調したので,彼岸性よりはむしろ此岸性がその特徴をなしていた。生の希望が死を圧倒し,ニヒリズムに発生の余地を与えなかった。ヘブライ語の〈シャーロームšālôm〉はふつう〈平和〉と訳されているが,これは社会と人間における精神と物質全体にみなぎりあふれる力であって,両者を分離したり二元化したりすることはない。また神の〈義〉は第1には審判ではなくて,秩序をつくり保持する力であった。したがって終末論と呼ばれるものは厳密には初期イスラエルにはなく,それが起こったのは王国の滅亡が迫った前8世紀の預言者においてである。まずアモスが神の審判とイスラエルの終りを告げ,次にホセアとイザヤが新しい世界の誕生を告げた。しかしこれはユートピア的なものではなく,第2の出エジプトなり,第2のダビデたるメシアの到来による救済のできごととして考えられていた。その限りで,この終末論はまだイスラエル中心であったといえる。バビロン捕囚期および捕囚後の預言者は王国の終りを経験したことからして,終末論を民族中心ではなく個々人の救いとしてとらえ,またユートピアではなく復活や霊の注ぎとして語った。すなわち,捕囚を通じて未来的終末論が現在化するに至ったといえる。この終末論は論理的にいうと,民族という種的なものが破れて普遍と個を新しい仕方で結んだものといってよく,捕囚後は民族に代わって教団が種的媒介の位置を占めた。
しかしユダヤ教は単なる教団宗教ではない。帰還後に神殿を再建したものの(前515),アレクサンドロス大王の東征以後の混乱の中で教団は危機にさらされ,そのとき黙示思想(黙示文学)としての終末論が発生した。《ダニエル書》がその代表である。黙示思想には未来の描写はあっても構想はなく,歴史の現実を与えられた黙示に従って少しずつ切り開いていくといった性質のものである。その裏側には《伝道の書》や《ヨブ記》に見られるような深刻な懐疑とニヒリズムがあり,黙示思想とともに教団の危機を示していた。新約聖書はこうした黙示的世界の中での所産なので,民族よりも教団を指向し,さらに教団すら破れて異民族の中に入っていき,たえざる迫害と危険の中で普遍的な信仰を切り開いていくことを課題とした。新約聖書の終末論は再臨信仰を特徴とし,地上のイエスのなした救いの業(わざ)と,再臨のイエスがもたらすであろう〈神の国〉とを両極として,その間を緊張をもって生きるものである。教会が時々の状況の中でこの二つのいずれかを強調することは起こりうる。しかし教会が秩序と倫理の重視に傾いて,その緊張を除いたり和らげたりするのは正しくない。終末論がキリスト教信仰にとって決定的意義をもつことは第1次大戦後にようやく気づかれ,現代の神学の中心問題となったといって過言ではない。
→最後の審判 →終末観
執筆者:泉 治典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その第一は,直線的な時間の流れ方であって(より正確には〈線分的〉と言うべきであろうか),ユダヤ・キリスト教的な世界観のなかに特徴的なものとして知られている。始点(神の手による世界創造)と終点(最後の審判)の間に張られた一直線の時間の流れの上に,この世界の変化が一つのドラマとして展開される,と考えられているからである(終末論)。これに対して,インドやギリシアでは,時間は流れても回帰的であり,構造としては螺旋(らせん)的なモデルで把握できる。…
※「終末論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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