日本大百科全書(ニッポニカ) 「都市問題」の意味・わかりやすい解説
都市問題
としもんだい
urban problems
都市化や都市の歴史的・社会状況に由来する社会問題の総称。
時代の類型としての都市問題
都市の類型や歴史的・社会的な状況の違いにより、都市問題の発現内容や形態は異なる。古代や中世の都市国家にも塩害やごみ問題などの都市問題が存在したが、ここでは近代以降の都市における都市問題を取り扱う。なぜなら、社会問題の特定のものを都市に由来する「都市問題」としてとらえること自体、近代化・産業化に伴う都市社会の変容以降のことだからである。
[若林幹夫]
古典的都市問題
ここで「古典的都市問題」とよぶのは、上記のように近代化以降に「都市問題」として認識された社会問題である。古典的都市問題は、主として産業化に由来する経済的貧困とスラム問題であった。たとえばロンドンの下層労働者地区の社会問題を克明に描いたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)は有名である。日本でも、都市下層民が集住する貧民窟(くつ)、細民街は、住環境条件の劣悪とあわせて経済的貧困がプールをなす場所であった。横山源之助の『日本之下層社会』(1899)には、大都市の代表的スラムを舞台とした古典的都市問題が活写されている。都市の貧困問題、下層社会問題としての都市問題モデルは、第二次世界大戦後の日本においても続く。たとえば「続日本之下層社会」を意図した磯村英一(いそむらえいいち)(1903―1997)の『都市社会学』(1953)、『社会病理学』(1954)は、終戦直後の東京の下層社会の実態を明らかにしたものである。そこでは都市問題の発現形態を異にするものの、戦前の都市問題の系譜を引く、「スラム、仮小屋生活者、ドヤ街、赤線区域、売春、水上生活、日雇労働者、バタヤ、テキヤ、質屋、内職、離婚、里子、としより、浮浪者その他」の事例が取り上げられている。
[奥田道大・若林幹夫]
高度成長期の都市問題
しかし1950年代後半から1960年代の高度成長期に入っては、日本の都市問題も戦前期都市問題とは異なる様相を呈するようになった。都市化、産業化の高度化と全体社会的広がりのなかで、東京や大阪の大都市は戦前以上に国家レベルの中枢管理機能の拠点としての位置を固めていった。農村との関連でいえば、若手労働力を中心とする農村人口を大都市が吸引し、大都市へと社会的諸機能が集中していくなかで、大都市の過大・過密問題と、農村の過小・過疎問題が対をなすものとして問題化されていった。
高度経済成長期の都市問題は都市―農村よりもむしろ、大都市―地方という関係を背景とするようになった。大都市の過大あるいは過密は、広域都市化に伴う交通・道路問題、自然環境破壊・公害問題、郊外スプロール問題、住宅問題等を新たな「都市問題」として生み出した。また、上京者と地方の郷里の結び付きが絶たれてくるなかで、都市で食い詰めれば農村にUターンするという戦前期都市問題についていわれた都市問題の農村還元ルートの図式は成り立たず、地方出身者も大都市内部での仮住まい場所を「終(つい)のすみか」とせざるをえない状況となっていった。木造賃貸アパートや劣悪な条件の建売住宅、文化住宅が、大都市の中心市街地と新郊外の両方を通じて、当時の住=生活環境条件の貧困状況を体現していた。戦前期スラムを古典的貧困とすれば、戦後期の住宅および関連生活環境問題は、「新しい貧困」としての側面をもつ。また精神的な面でも、大都市住民の「故郷喪失」問題が、心情面での飢餓感とあわせて、近隣や地域社会面での人間関係の希薄化や相互援助の欠如として、新たなコミュニティ形成を課題とする問題を構成していった。
[奥田道大・若林幹夫]
1970年代以降の都市問題
しかし1970年代のオイル・ショックを挟んで高度成長が沈静化するとともに、大都市の基調も変化してくる。地方から大都市への大量の人口移動の流れは終息し、かわって「大都市生まれ、大都市育ち」世代を中心とする時代へと推移してくる。戦後生まれの第一次ベビーブーム世代が、ちょうどこの地方出身者と大都市出身者との分岐点にあたる。地方出身者においては、労働力人口であれ、就学人口であれ、幼少期の人格形成期に自然環境との触れ合いがあったが、大都市出身者においては、自然の懐に抱かれた「故郷」は、頭のなかで描いたりメディアに媒介されて形成されたりするイメージの世界の話となる。しかし農村とのつながりが絶たれ、多くの住民が大都市内部を「ふるさと」とするに及んで、住=生活環境条件の充実も、コミュニティ形成の問題と絡めて、より自覚された都市問題のテーマとなっていった。
1960年代までの住=生活環境条件の貧困は、公害・環境破壊問題などと並んで、住民運動の争点となった。運動はおのずと自治体や企業の新たな施策や対応を求める作為要求型の運動や、逆に施策や活動の中止や停止を求める作為阻止型の運動としての性格を強めたが、1970年代以降は、同じ争点を取り上げても、コミュニティ形成、まちづくりとのつながりで運動の持続的かつ包括的側面に特色がみいだされる。いずれにせよ、コミュニティ形成、まちづくりとのつながりで、都市化の成熟を地域レベルでどのように実り豊かなものにしていくかが、1970年代、1980年代、そして1990年代から21世紀へと引き継がれる都市問題の基調をなすテーマとなった。
[奥田道大・若林幹夫]
欧米の都市問題
都市衰退化とインナーシティ問題
1970年代初期から1980年代、1990年代を通じての欧米都市問題の主要なテーマは、都市危機urban crisis、ないし都市衰退化urban decay, urban decline現象であった。この現象はとくに都市化の古い歴史をもつ既成大都市地域において、人口減少、高齢化、施設・機関の老朽化と機能不全、エスニック・マイノリティethnic minority(少数派民族)問題、地域管理能力の弱体化、その他の問題群として発生した。一連の問題群は、既成大都市の都心周辺地域から始まり、同地域に集中かつ顕在するところから、「大都市インナーシティinner city問題」といわれる。イギリスのロンドン、マンチェスター、リバプール、あるいはアメリカの北東沿岸の大都市群、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルティモア、あるいは中西部のシカゴその他において、大都市衰退化=インナーシティ問題が都市問題の主テーマをなしている。
ここでは一例として、アメリカの都市のなかで都市化の歴史のもっとも古いフィラデルフィア市に素材を求めてみよう。同市を含む北東沿岸の大都市群は、大都市が帯状に連坦(れんたん)するメガロポリスmegalopolisと規定される都市化先進地域であるが、1970年代の大都市危機=インナーシティ問題が広範に構造化するなかで、たとえばアメリカ南部の宇宙基地やハイテクノロジー関係の新興都市が「サンベルトSun-belt」とよばれるのに対して、「スノーベルトSnow-belt」ないし「フローズンベルトFrozen-belt」と総称されるに至った。フィラデルフィアの人口減少は単に減少の量的側面にとどまらず、人種関係の住民構成と深くつながっている。具体的には、中産階級白人が市域外に移動することにより、アフリカ系その他有色人口の相対的比重が増加していった。このことは、アフリカ系住民=大都市インナーシティ地域(とくにスラム地域)、白人=大都市周辺地域(郊外地域)という住み分けの図式では都市の地域構造をもはやとらえられないことを示唆する。現実に、これまで人種的および文化的な同一性の下でコミュニティ・ライフを維持してきた中産階級白人の郊外住宅地域にも、中産階級アフリカ系住民の進出をみるに至っている。アフリカ系住民の郊外化Black suburbanizationと、中産階級アフリカ系住民と白人とのコミュニティ・レベルでの「統合」あるいは「分離」は、1980年代~1990年代を通して、都市問題の顕在化したテーマとなっていったのである。
[奥田道大・若林幹夫]
コミュニティ放棄と都市再活力化
一方、中心部インナーシティ地域では、低収入、低学歴、失業・半失業、家族解体問題を抱えるアフリカ系をはじめとする人種、エスニック・グループethnic groupの居住地域が広範に広がるが、古典的スラムのように特定の人種・階層が一つの地域に排他的に凝固するという構造は示さず、人種・民族間の入れ替えもかなり流動的となった。そのこと以上に、たとえばフィラデルフィア市では、スラムすら形成されず、家屋や近隣住区が放棄されてゆく、いわゆるゴースト・タウン現象が1980年代から1990年代にかけて都市問題の主テーマをなしていった。コミュニティ放棄community abandonmentといわれる現象がこれである。あわせて指摘しておかなければならないのは、フィラデルフィア市の都市問題は一都市、一都市圏の問題にとどまらず、たとえばニューヨーク市の都市問題とも連鎖していることである。このことは大都市間の問題の共有というより、フィラデルフィア市側からいえば、ニューヨーク市の都市問題を引き受けているということである。なぜなら、ニューヨーク市に流入した人種、エスニック・グループを、フィラデルフィア市が人種問題の置き換えdisplacementという形で肩代りしているからである。都市問題の負の連関といえようが、これに対して当然フィラデルフィア市では、行政機関、民間デベロッパーの総力をあげて、インナーシティ地域の再開発=再活力化urban revitalization問題への取り組みをみせている。とりわけゴースト・タウン化した地域の更地(さらち)化を通じてオフィス空間の回復、あるいは市域外に流出した中産階級白人の「中心地域への復帰Back-to-the-City Movements」をプログラムとした住空間の回復を図った。とくに後者の住空間の回復は、相対的に年齢の若い都市住民――プロフェッショナルな職業、高学歴、高収入、都会的センスの服飾と行動・生活様式の層に焦点を絞っているところから、地域イメージの更新のジェントリフィケーションgentrificationとかシティフィケーションcitificationと名づけられている。
都市再開発=再活力化プログラムが現実に有効策となりうるか否かは今後の推移を見守るとしても、問題は、歴史的・文化的に個性的なフィラデルフィア市が他の大都市群と機能・構造的に帯状に連なるなかで、「都市問題」の基盤を踏まえてどのような成熟した都市・地域像を描きうるかが、当面の都市問題の解決とあわせて今後の最重要テーマとなるということである。現在のところ、くっきりとした輪郭をもつ都市・地域の全体像、あるいは都市自治のシステムは不透明であるが、それがコミュニティ放棄化のインナーシティ地域でも、あるいは住民層の入れ替えの進む既成郊外地域であっても、地域レベルでの「住民」を主体とした青写真を第一歩とすることだけは確かであろう。「持続可能なコミュニティsustainable community」の政策テーマも、このような青写真を背景としている。そしてコミュニティ政策と結ぶ「もう一つの公権力」として、行政組織やビジネス組織のオルタナティブ(既存のものととってかわる新しいもの)としての民間非営利組織(NPO)であるCDC(Community-based Development Corporations)の果たす役割が、居住福祉の問題一つをとっても、ますます重要視されている。
[奥田道大・若林幹夫]
日本の都市問題
大都市の危機=衰退化は、日本では欧米にみられるような形での人種・民族問題をかならずしも介在させていないことと、本格的都市化の歴史の浅さから、現段階の都市問題としてはかならずしも認識されていない。しかし、たとえば大阪市においては、人口減少、高齢化、施設・機関の老朽化と機能不全、地域管理能力の喪失、新しい型の都市問題(都市風紀問題、暴力問題その他)の発生などを具体的な現れとする大都市インナーシティ問題を経験している。そして同様の意味での「大阪現象」は、尼崎(あまがさき)市、神戸市、北九州市、川崎市、東京の一部インナーシティ地域においても発現してきている。このことは都市文明史的には1960年代型の都市化社会urbanizing society段階から、都市化の成熟段階に伴う都市型社会urbanized societyに移行したことによる特有の問題群ということができる。
しかし東京の「都心」地域がニューヨーク、ロンドンの「都心」地域と並んでグローバルな中枢管理機能を強め、国家レベルだけでなく世界レベルでの「国際都市」「世界都市」の顔を1980年代に入っていっそう帯びていったことにより、いわば頂点部分の「光」によって底辺部分の衰退問題という「影」が覆い隠されていた。したがって東京においては、衰退化が大都市共通の問題として深刻に受け止められなかったというのが現状である。しかし1980年代の都市型社会の年代に入って、とくにその中・後期の高度経済成長路線の「最後の総仕上げ」ともいうべきバブル期、東京の都心も地域レベルにおいて、人口減少、高齢化、地域管理能力の喪失その他の問題を抱えることとなった。とくに人口減少では、1980年代中・後期に至って、過去20年間に半減の状態を示すに至った。都心区の都市自治の観点からは、まさにノーマンズ・ランドno man's land、ジャニターズ・ゾーンjanitor's zone(ビルなどの管理人が大半を占める地域)としての中心地域の実態は、欧米のコミュニティ放棄とは異なった基盤において1980年代、そして1990年代の都市問題の一つの位相をなしていたといってよい。
都心区の自治のコントロールは、おそらく中枢管理空間としての実態にあわせ、一種の「法人都市」としてより上位の行政機関に負託して、大都市圏、国の「直轄市」としての色調を濃くしていくであろう。このような夜間人口が減少したコミュニティ不在の都心区では、たとえば犯罪や治安上の不安、人々の精神衛生や夜間時の緊急医療の問題、商店街の空洞化による日常的な買い物の困難な地域や住民の増加、あるいは突発的な社会的事件やパニック、災害上の問題など、無機質の都心を舞台とする新たな形の都市問題を生み出しつつある。
1990年代以降、都心の地価の下落、大規模都市再開発による高層マンションの建設、職住隣接や都市的消費生活の享受などの都心生活の利便の再評価に伴い、いわゆる「都心回帰」の現象が観察されている。その一方で、「ゲーテッド・コミュニティgated community」のように管理・セキュリティ機能を高めた高層マンションと既存の地域社会との空間的・社会的・文化的分断という、新たな問題も生み出されている。さらに1990年代から2000年代の新自由主義的改革を背景に生じた格差の拡大による都市貧困層やホームレスの増大、地方都市近郊のロードサイドショップや大規模ショッピングセンターの進出による既存中心市街地の商業地区の衰退などが、現代日本の新たな都市問題として浮上してきている。
[奥田道大・若林幹夫]
都市問題の総合研究体制
都市化社会の社会問題
都市問題はスラムから都市地域全般に広がりをみせ、しかも大都市自体、中心地域と郊外地域との分極化を著しくしている。郊外地域は、現住地を「終のすみか」とする住民の定着化のなかで住=生活環境条件の充実、アメニティ志向、あるいはサービス行政としての自治体を存立の不可欠の基盤とする一方で、高齢化・少子化に伴う税収の減少などの問題に直面している。郊外地域のこの課題は、地方都市や田舎(いなか)町とも共通する問題群といえよう。一方、中心都市は「都心」区をはじめとして大都市圏、国家、さらには国際レベルの中枢管理拠点として、さまざまなレベルの管理・統治機構と直結する立体型都市問題を内包している。
今日、都市問題は全体社会レベルの広がりをますます強め、都市問題というより都市化社会、都市型社会の社会問題の位相を明確に示すようになった。1980年代には個別の問題群も、目に見える実在感のあるものから、目に見えない抽象度の強いもの、漠然とした不安感、恐怖感を含め人々の内面的心理や価値観にかかわるものまで、多様な広がりを示すようになった。そして、一国システムを超えた「文化、資本、エスニック・ネットワーク」がグローバリゼーションとして現実化した1990年代は、まさに20世紀と21世紀との中間・境界領域をなしていたということができる。21世紀の端緒をなした2001年9月のニューヨーク・マンハッタンを襲った超高層ビル倒壊事件(アメリカ同時多発テロ)は、都市問題のグローバリゼーションがはらむ危険をも示したものであった。世界都市・ニューヨークの人口構成は、「白人」系がもはや過半数を割って数的にはマイノリティへと転落し、かわって「アフリカ系」「ヒスパニック系」「アジア系」が多数を占めるようになっている。東京でも都心と郊外のはざまに位置するインナーシティの新宿、池袋は、1980年代後期から越境移動の始まったアジア系外国人のエスニック・コミュニティとしての色調を濃くしている。
21世紀に入っては、都市問題を従来の個別科学や行政のタテ割りの組織システムのもとでとらえることはもはや困難である。そこでは、社会科学、人文科学、さらには社会工学を含めた都市問題の総合認識と解決のための実践的、政策形成的手続と処方箋(せん)が求められてくる。たとえば都市問題の理解として、従来の都市社会学や経済学、あるいは都市工学の上位部門に、総合科学としての「都市学」を構想する立場もある。しかし都市問題のマクロ把握には、都市経済学や政治学、財政学、あるいは都市工学などの部門が本領を発揮するにしても、都市問題をグローバリゼーションとのつながりで、「越境」する人々やコミュニティと絡めて深層分析する場合は、あるいは綿密なフィールドワークの成果を期待する場合には、人々の口述生活史や都市的適応様式、都市共生の作法、ケアなどを取り扱う臨床社会学や個別人文諸科学の貢献が求められている。
[奥田道大・若林幹夫]
都市問題の現代的意味
問題は、都市問題を「都市学」というタイトルのもとにひとくくりすることではない。むしろ時代の類型としてのそれぞれの都市問題の理解にいちばん求められている個別科学が、他の部門と協同して、従来のパラダイム(枠組み)を超える形で新しい知の地平を開くことがたいせつである。この意味では、多様な個別科学に下支えされた「越境する知」ともいうべき都市問題の総合把握が肝要となる。アメリカの大学や研究所の調査研究プロジェクトのもとでは、Urban Studiesというタイトルや枠組みがしだいに解消されている。このことは、都市問題や都市の実態を前提とした枠組みが、現実社会変容のなかでしだいに意味を失い、改めて住宅や近隣住区・地域計画、道路・交通やエネルギー、防災、オルタナティブ・テクノロジーalternative technology(代替技術)や都市美、まちづくりなどの個別テーマへと分解していることを意味する。そして都市問題の新しい位相としての「住宅問題」のタイトルのもとに、都市経済学や行政学、社会学や法学、そして技術工学の各分野がプロジェクト・チームを形成して、それぞれのパラダイムの有効度を競い合い、各分野の交差する境界領域に住宅問題を読み解く新しい知が潜んでいるように思える。
ここではUrban Studiesの重点は「都市研究の研究」とでもよぶべき、都市研究の一定の蓄積のファイリング、研究史的整序に重点が置かれるようになる。都市の国際的総合研究センターとして知られたハーバード大学とMIT(マサチューセッツ工科大学)の「Joint Center for Urban Studies」が「Joint Center for Housing Studies」へと看板をかえたことは、このことを象徴しているといえよう。Housing Studiesはまさに現代都市問題の位相を鋭角的に示すテーマであり、そこでは関連する個別科学の総合的な知の形成が必要である。Housing=住宅問題といっても、住宅不足―供給量のパイを大きくするといった単純な解をめぐる問題ではなく、大都市郊外~中心部を通じての地殻変動に伴う新しいエスニシティと階層の都市住民構成、住=生活様式、居住福祉、不動産的価値と市場その他を含む、人間が都市に住むこと、都市化した社会に住むことをめぐる歴史的・社会的な背景と広がりのあるテーマであることを認識する必要があろう。
[奥田道大・若林幹夫]
『奥田道大著『都市コミュニティの理論』(1983・東京大学出版会)』▽『大阪市政調査会編『現代の大都市問題と都市政策』(1983・日本評論社)』▽『『磯村英一都市論集』全3巻(1987・有斐閣)』▽『奥田道大著『都市と地域の文脈を求めて――21世紀システムとしての都市社会学』(1993・有信堂高文社)』▽『早川和男編集代表『講座現代居住』全5巻(1996・東京大学出版会)』▽『中川清著『日本都市の生活変動』(2000・勁草書房)』▽『奥田道大・鈴木久美子編『エスノポリス・新宿/池袋――来日10年目のアジア系外国人調査記録』(2001・ハーベスト社)』▽『平山洋介著『東京の果てに』(2006・NTT出版)』▽『平山洋介著『都市の条件――住まい、人生、社会持続』(2011・NTT出版)』