改訂新版 世界大百科事典 「チュレンヌ」の意味・わかりやすい解説
チュレンヌ
Henri de la Tour d'Auvergne, vicomte de Turenne
生没年:1611-75
フランスの武将。神聖ローマ帝国とフランス王国の中間に位置して独立を保持していた小公領(主都スダン)の君主ブーイヨン公アンリの次男。母はオラニエ公ウィレム1世の娘。母の影響下にプロテスタントとして育てられ,武人としての教育を受けたのち,フランス国王に奉仕。そのすぐれた資質により三十年戦争下,東部戦線やイタリアで数々の勲功をたてた。とりわけノルトリンゲンの戦(1645)では大勝を博して名声を得,以後名実ともにフランスを代表する武将としてたたえられ,兵士たちの信頼も厚かった。1643年にはフランス国王軍最高のポストである元帥の一人となっている。フロンドの乱の初期には反マザランの立場をとったが,51年国王側に復し,コンデの軍勢を破って王権の勝利をもたらすのに大きく貢献した。75年オランダ戦争の渦中に,東部戦線のザースバハ(シュトラスブルクの南方)で戦死した。
執筆者:二宮 宏之
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