ツェティニェ(読み)つぇてぃにぇ(英語表記)Cetinje

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツェティニェ」の意味・わかりやすい解説

ツェティニェ
つぇてぃにぇ
Cetinje

モンテネグロ共和国の古都アドリア海に近い南部に位置する。人口1万8749(2003)。15世紀末イバン・ツルノエビッチがトルコの侵攻を逃れてこの高地(標高680メートル)に修道院を建て、首都を移した(モンテネグロでは主教が聖俗界を支配する制度であったため、修道院が政庁を兼ねた)。短命に終わったモンテネグロ王国(1878~1918)時代の名残(なごり)で、オーストリア、イギリス、イタリア、ロシア、フランスなどの旧公使館がある。叙事詩栄光山並み』の作者としても有名な聖俗界の首長ニェゴシュの館兼執務室ビリヤルダBiljarda、郊外のロブチェンLovćen山上(1600メートル)にある彼の霊廟(れいびょう)、18世紀初頭に建てられた聖ペテロ修道院、博物館に改造されたニコラ王宮殿、劇場など見るべきものが多い。電気製品・製靴工場、印刷所がある。

田村 律]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツェティニェ」の意味・わかりやすい解説

ツェティニェ
Cetinje

モンテネグロ南西部の古都。ポドゴリツァの西約 30km,標高 630mの高原に位置する。 1918年までモンテネグロの首都で,1945年その座をポドゴリツァに譲った。文化の中心地でもある。 1516~1851年の間は王であり主教であった聖職支配者 (→ブラディカ ) たちの居住地で,要塞化された修道院が残っている。聖職支配者であり,近代セルビア文学の代表的詩人でもあるペタル2世居城 (1838建設,1951修復) などもある。第1次世界大戦中はオーストリア軍,第2次世界大戦中はイタリア軍に占領された。機械,製靴工業などが行なわれる。人口1万 4700 (2003) 。

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