モンテネグロ共和国の首都。1946~91年はチトーグラードTitogradと称したが、社会主義体制崩壊後、旧称であったポドゴリツァに改称された。人口17万9403(2003)。リブニツァ川がモラチャ川に合流する地点にあるため、ローマ時代から交通の要衝として発達。ローマ時代ドクレアDocleaとよばれ、後にスラブ人が来てポドゴリツァを建設した。15世紀後半から1878年までトルコ支配下にあり、第一次世界大戦ではオーストリア、第二次世界大戦ではイタリアに占領され、空襲により壊滅的被害を受けた。1945年にユーゴスラビア連邦人民共和国(旧ユーゴスラビア)の建国が宣言され、モンテネグロは連邦を構成する6共和国の一つとなり、翌46年、大戦の英雄チトーにちなんでチトーグラードと改称しツェティニェから遷都されると、モンテネグロ社会主義共和国の主都として、文字どおり政治、経済、文化の中心地となった。その後、旧ユーゴスラビアの解体を経て、1992年モンテネグロはセルビアとともに新ユーゴスラビア(2003~06年はセルビア・モンテネグロとなる)を成立させ、2006年6月にセルビア・モンテネグロから分離独立した。中世セルビアのネマーニャ王朝の開祖ステファン・ネマーニャStefan Nemanjaが洗礼を受けたと伝えられる聖ジョルジェ教会(11世紀)、トルコ風の旧市街に立つ時計塔(18世紀)、パルチザン戦士への記念廟(びょう)などで有名。ドクレアの出土品を収めた近郊の考古学コレクション、大学、放送局、空港、天文気象学研究所、地震観測所、諸種の専門学校がある。アルミニウム製造のほか、金属加工・織物・タバコ・食品工場がおもな産業である。
[田村 律]
モンテネグロ(ツルナ・ゴーラ)共和国の首都。2006年モンテネグロ共和国の独立とともに首都となった。人口17万(2003)。リブニツァ川とモラチャ川の合流地にあり,低地(45m)のため7月には40℃を超す炎暑となる。7世紀ごろから南スラブ人が定住し,中世セルビアのネマニッチ朝をたてたステファン・ネマーニャの生地である。13世紀ごろからポドゴリツァとして文献に見えるが,郊外に残るローマ時代のドゥクリア遺跡から判断して,町は古代からの都市であったことがわかる。1474-1878年はオスマン・トルコの占領下にあり,旧市街に見られるイスラム教のモスクや時計塔はそのなごりである。第2次大戦で壊滅的打撃を受け,1946年チトーグラードTitogradと改名して町づくりが行われた。金属,機械,化学,食品関係の工場のほか,ツルナ・ゴーラ・アカデミー,ベリコ・ブラホビッチ大学(1974創設),放送局,劇場,博物館がある。空港やベオグラード~バール間鉄道の開通で内外の観光客を期待している。91年に旧名のポドゴリツァに復した。
執筆者:田中 一生
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