改訂新版 世界大百科事典 「ツッカロ兄弟」の意味・わかりやすい解説
ツッカロ兄弟 (ツッカロきょうだい)
16世紀半ばから17世紀初頭にかけて,ローマの古典主義的マニエリスムに指導的な役割を果たした画家兄弟。兄のタッデオ・ツッカロTaddeo Zuccaro(1529-66)はマルケ地方サンタンジェロ・イン・バードSant'Angelo in Vadoの生れ。14歳でローマに出,ラファエロ派の装飾様式を独力で身につけ,パラッツォ・ファルネーゼ(カプラローラ)の装飾,サン・マルチェロ・アル・コルソ教会の《パウロの改宗》など,各ジャンルに才能を発揮した。とくにパラッツォ・ファルネーゼの装飾はバザーリのパラッツォ・ベッキオに比肩する。彼の芸術は,ラファエロ派の芸術を継承した古典的特徴において反マニエリスム的予兆をも含むものとされ,16世紀中期のローマ派の貴族主義的アカデミズムを代表するとともに,一面で初期バロックをも予告するとされる。
弟のフェデリコ・ツッカロFederico Zuccaro(1542-1609)も兄と同地の出身。兄の助手として働き,同時に建築家としての手腕をもち,兄の死後,未完の事業を完成した。バチカン宮殿の〈サラ・レジア〉,オルビエト大聖堂,フィレンツェの大聖堂,パオリーナ礼拝堂などの装飾事業を引き受け,フランス,オランダ,イギリス,スペインに旅行し,国際的マニエリスムの指導的人物となった。1593年にはツッカロ邸を建築し,ここを本拠とするサン・ルカ・アカデミーを設立してローマのアカデミズムの中心人物となった。理論書も多く,《彫刻家,画家,建築家のイデア》(1607)は後期マニエリスム美学の代表的な著書とされる。とくに彼の素描論は名高く,〈ディセーニョdisegno〉を神の霊感によるものとする新プラトン主義的美学の極限をなす。
執筆者:若桑 みどり
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報