バザーリ(読み)ばざーり(その他表記)Giorgio Vasari

デジタル大辞泉 「バザーリ」の意味・読み・例文・類語

バザーリ(Giorgio Vasari)

[1511~1574]イタリア画家建築家文筆家。13世紀以降のイタリアの美術家とその作品を扱った「美術家列伝」を著した。

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精選版 日本国語大辞典 「バザーリ」の意味・読み・例文・類語

バザーリ

  1. ( Giorgio Vasari ジョルジョ━ ) イタリアの画家、建築家、美術史家。ミケランジェロの影響を強く受けたマニエリズモの代表的画家。イタリア‐ルネサンス美術史の貴重な資料である「イタリア美術家列伝」の著者として名高い。(一五一一‐七四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バザーリ」の意味・わかりやすい解説

バザーリ
ばざーり
Giorgio Vasari
(1511―1574)

イタリアの画家、建築家、著述家。アレッツォに生まれ、フィレンツェに没。初め祖父の従兄弟(いとこ)にあたるルカ・シニョレッリに素描の手ほどきを受け、1524年フィレンツェに出て、画家アンドレア・デル・サルト彫刻家バッチオ・バンディネッリに師事した。この時期ミケランジェロと接触する機会があり、生涯を通じて彼を偶像視するようになった。フィレンツェの主権者メディチ家の知遇を受けて、同家のアレッサンドロやロレンツォの肖像画(ともに1534・ウフィツィ美術館)を描いている。55年には同家のコジモの要請を受け、パラッツォ・ベッキオ壁画を描くなど、内装を大幅に改めた。建築家としての代表作は現在のウフィツィ美術館の建物である。それより以前の46年から彼はイタリア国内をくまなく遍歴し、13世紀以降の美術家に関する膨大な資料を集めて、50年に有名な『美術家列伝』Le vite de' più eccellenti pittori, scultori et architetti italianiを著した。今日刊行されているのは68年の改訂版をもとにしているが、美術史の研究者にとってはきわめて貴重な文献である。

[濱谷勝也]

『ヴァザーリ著、平川祐弘・小谷年司他訳『ルネサンス画人伝』(1982・白水社)』『ヴァザーリ著、森田義之監訳『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(1989・白水社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「バザーリ」の意味・わかりやすい解説

バザーリ
Giorgio Vasari
生没年:1511-74

イタリアの画家,建築家,文筆家。生地アレッツォでフランスの画家ギヨーム・ド・マルシラGuillaume de Marcillatの工房に入り修業する。フィレンツェに出てアンドレア・デル・サルト,バンディネリB.Bandinelliおよびロッソ・フィオレンティーノに学ぶ。1529年サルビアーティとともに工房を開く。31年枢機卿イッポリト・デ・メディチに従いローマに行き,ミケランジェロとラファエロを学ぶ。画家としてはミケランジェロとラファエロを折衷した技巧的なマニエリストで,その代表作はフィレンツェのパラッツォ・ベッキオのフレスコである。彼のもっとも重要な業績は,チマブエから彼の同時代にわたるルネサンスの芸術家たちの伝記《芸術家列伝》(1550,68。正しくは,《もっとも著名な画家,彫刻家,建築家の伝記》)であり,この著作において彼は,芸術史の展開の諸段階(3段階)を分類し,16世紀(とくにミケランジェロの芸術)をその最高の完成の段階であるという史観を示した。伝記上の原資料としての信頼性には疑いが多いとされているが,16世紀の芸術論を知る上では比肩するもののない貴重な文献となっている。著書としてはこのほか《ラジョナメンティ》(1588),書簡集,《思い出の書》(1927)などがある。また彼は,5巻にのぼる素描のコレクションをもち,現在はルーブル美術館とウフィツィ美術館に収蔵されている。建築家としての代表作は,60年に着工されたウフィツィ美術館(ブオンタレンティらにより完成)。
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百科事典マイペディア 「バザーリ」の意味・わかりやすい解説

バザーリ

イタリアの画家,建築家,文筆家。おもにローマとフィレンツェで活動,パラッツォ・ベッキオやバチカン宮殿等の壁画や,ウフィツィ宮殿の建築等があるが,今日では制作活動よりも著書の《芸術家列伝》(初版1550年,第2版1568年)で有名。これはルネサンス期のイタリアの代表的画家,彫刻家,建築家の生涯と作品を包括的に述べたもので,ルネサンス美術の資料として貴重。
→関連項目ウフィツィ美術館伝記マニエリスムモナ・リザ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バザーリ」の意味・わかりやすい解説

バザーリ
Vasari, Giorgio

[生]1511.7.30. アレッツォ
[没]1574.6.27. フィレンツェ
イタリアの画家,建築家,文筆家。フィレンツェのサルト,ロッソ・フィオレンティーノのもとで修業し,ミケランジェロの影響を受けた。フィレンツェのメディチ家の宮廷に仕え,画家としてはフィレンツェのパラッツォ・ベッキオ,バチカンのサーラ・レジーナおよびカンチェレリアの壁画を,建築家としてはフィレンツェにウフィツィ宮 (1560) ,ピサにサント・ステファノ騎士団の館,聖堂,修道院 (62~69) などを制作した。また著書『美術家列伝』 Le vite de' più eccellenti architetti,pittori,et scultori italiani (50) には G.チマブーエから彼自身にいたる約 300年間のイタリアの美術家の生涯と作品が述べられ,当時の美術を研究する場合の基本的史料とされている。

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世界大百科事典(旧版)内のバザーリの言及

【アカデミー】より

…社会主義国のほとんどが,たとえばルーマニア社会主義共和国アカデミーのように,〈アカデミー〉という古い呼称を温存しているところからもわかるように,今や学術団体としてのアカデミーは,国ごとの体制やイデオロギーとは無関係に,各界の頭脳や才能を組織し,褒賞授与その他の活動を通じて,国家の威信,科学研究や文化発展に貢献すべき使命を負わされていると言えよう。学会翰林院日本学士院【鷲見 洋一】
[美術]
 アカデミーの語が造形芸術に関して用いられた早い例として,バザーリが《芸術家列伝》第2版(1568)の中で,1490年ころロレンツォ・デ・メディチが彼の古代彫刻の収集を集めたフィレンツェのサン・マルコの庭園を,若い芸術家のための〈学校やアカデミーのようなもの〉にした,と述べている一節がある。このサン・マルコのアカデミーは実在しなかったとするのが近年の定説であるが,この時代以降,規模も目的も私立,官立,半官立の別も異なる,造形芸術に関係のあるさまざまな機関にアカデミーの名が冠せられるようになった。…

【アレゴリー】より

…イタリアでの代表的美術作品はブロンツィーノの《愛の寓意》(1545‐50ころ)で,時と真理が〈愛欲〉の正体を暴露するという錯綜したアレゴリーが展開する。またバザーリがパラッツォ・ベッキオの広間やフランチェスコ1世の書斎(ストゥディオーロ)に描いたフレスコや板絵は,四大(地,水,火,風),錬金術,宇宙生成など秘教的なアレゴリーが充満している。マニエリストたちは総じて,〈宇宙〉〈愛〉〈時〉〈死〉といった人間存在の根本問題のアレゴリー化にもっとも関心を抱いた。…

【建築家】より


[近世の建築家]
 イタリア・ルネサンスの開始とともに,建築家はにわかに独立した個性的な存在として注目されるようになる。さらに,フィレンツェ出身の画家・建築家であったバザーリが,著名な《芸術家列伝》のなかで,他の芸術家と並べて,建築家の個性的行動を活写したため,建築家も意識的に名誉と名声を求めるようになった。ルネサンスとバロック時代の建築家は,画家・彫刻家出身の人物が多く,芸術的才能は神が授けてくれる天分と信じていたため,ウィトルウィウスが伝えたギリシアのアルキテクトンの概念が強くよみがえり,建築家は単なる職人や技術者とは異なる主導的芸術家であるとする思想が生まれ,現代にまで及んでいる。…

【コレクション】より

… 芸術論の刊行が盛んであった16世紀後半のマニエリスム期には,理論的著作が収集に影響を与えた。たとえばバザーリが,《芸術家列伝》(1550,68)において,中世に死に絶えていた芸術が14世紀初め以降徐々に〈再生〉し,ミケランジェロに至ってその頂点に達したという理論を一般化してからは,古代美術と並んで16世紀前半の作品が求められるようになり,またすべての造形芸術の基礎に〈素描(ディセーニョ)〉が存在するという認識が生ずるにしたがって素描の収集が盛んになった。一方,美術品収集と並行して,中世の百科全書的伝統に源を発する自然科学の分野における収集も,16~18世紀を通じて盛んであったが,時代が下るにつれてそれらは美術館と自然科学博物館に分化していった。…

【素描】より

…ディセーニョを自然模倣の手段としてではなく,思想の行為としたミケランジェロの考えを書き表した最初の理論家は,おそらくアカデミア・フィオレンティーナ院長バルキBenedetto Varchi(1502‐65)であろう。彼は素描は〈絵画および彫刻の目的,すなわち自然の巧みなる模倣であるばかりでなく,それらの原理であり,始源である〉と述べ,さらにバザーリは《芸術家列伝》で,〈絵画,彫刻,建築の共通の父はディセーニョである〉と述べ,再現芸術のみならず,建築などの非再現芸術を含む造形の基礎に〈ディセーニョ〉を置いた。彼は,〈ディセーニョ〉とは〈知性にみちびかれて,多くの事物から一つの普遍的判断力をひき出す,いわば自然のすべての事物から,ある形式またはある観念をとり出す〉ものであり,かつ〈人が魂の中にもっている思想の外在化,明確化にほかならず,精神の中で想像され,イデアの中で作られたもの〉であると定義している。…

【美術史】より

…前者は,実際に残されている神殿や彫刻についての説明で,中世の巡礼案内やルネサンス以降の都市案内記を経て,現代の美術館(および展覧会)のカタログにまでつながるものであり,後者は,芸術家の伝記的研究の原初的形式といえる。この両者は,中世においても多かれ少なかれ存在したが,しかし,作品や芸術家を時間の流れのなかに位置づけようとした明確な歴史意識が登場してくるのは,ルネサンス期,とくに,G.バザーリの《芸術家列伝》(1550。第2版1568)においてである。…

【マニエリスム】より


【マニエラとマニエリスム】
 〈マニエラ〉は,14世紀以来イタリアの芸術理論書(チェンニーニ,ギベルティ)の中で,芸術家の個々の様式,あるいは一民族,一文化に特有の様式を示す言葉として,いかなる価値づけもなく使用されていた。マニエラに独自の価値を与えたのはG.バザーリ(《芸術家列伝》1550)である。彼は,15世紀の芸術家が単に自然を模倣しこれを整理する理法を知ったのに反し,16世紀の芸術家は〈マニエラを知る〉ことによって〈自然〉を超えた〈優美〉をもつにいたった,と述べ,ここでマニエラは,〈自然〉に対して,人間の〈イデア(理念)〉を付加する高度の芸術的手法と考えられるようになった。…

【ルネサンス美術】より

…この点は15世紀半ば以降のルネサンス概念とは異なっている。
[バザーリの史観]
 このように〈善き古代〉と〈悪しき中世〉,さらに〈善き現代〉という美術史観は15~16世紀の著作家にも受け継がれて定着し,ギベルティらを経てバザーリ(《芸術家列伝》初版1555,2版68)によって集大成された。バザーリは,この〈リナッシタ〉の語を初めて美術史上の概念として定着させた。…

※「バザーリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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