アメリカの映画監督。マサチューセッツ州アシュフィールドに生まれる。ニューヨークの演劇学校を卒業。1900年にブロードウェーで初舞台。兄ウィリアムとともに俳優、劇作家として舞台に関係したが、ジェシー・L・ラスキーが設立した映画会社に招かれ、『スコウマン』(1914)を発表、監督としてのスタートを切る。その後ラスキーがアドルフ・ズーカーと提携し、さらにパラマウントに合体するに従い、パラマウントの主席監督となった。ハリウッド映画の娯楽性を発揮した大作を発表。アメリカ映画界の大御所的存在として、その足跡はアメリカ映画の歴史といわれた。サイレント初期の『ヂャン・ダーク』(1916)以来、『男性と女性』(1919)、『十誡(じっかい)』(1923)、『暴君ネロ』(1932)、『クレオパトラ』(1934)、『平原児』(1936)、『大平原』(1939)、『征服されざる人々』(1947)、『サムソンとデリラ』(1949)、『地上最大のショウ』(1952)、そしてカラーによるリメイクの『十戒』(1956)に至るまで、終始一貫見せ物としての大作を演出、とくに豪華なスペクタクル史劇で知られる。
[畑 暉男]
スコウ・マン The Squaw Man(1914)
農場の薔薇(ばら) Rose of the Rancho(1914)
カルメン Carmen(1915)
チート The Cheat(1915)
マリア・ローザ Maria Rosa(1915)
孤松の桟道(さんどう) The Trail of the Lonesome Pine(1916)
ヂャン・ダーク(前後篇) Joan the Woman(1916)
小米国人 The Little American(1917)
神に見離された女 The Woman God Forgot(1917)
悪魔石 The Devil-Stone(1917)
醒(さ)めよ人妻 Old Wives for New(1918)
囁(ささや)きの合唱 The Whispering Chorus(1918)
浮世の常 We Can't Have Everything(1918)
私の帰る迄 Till I Come Back to You(1918)
情熱の国 The Squaw Man(1918)
夫を代ゆるな Don't Change Your Husband(1919)
連理の枝 For Better, for Worse(1919)
男性と女性 Male and Female(1919)
何故妻を換へる? Why Change Your Wife?(1920)
人間苦 Something to Think About(1920)
禁断の果実 Forbidden Fruit(1921)
アナトール The Affairs of Anatol(1921)
愚か者の楽園 Fool's Paradise(1921)
土曜日の夜 Saturday Night(1922)
屠殺(とさつ)者 Manslaughter(1922)
アダムス・リブ Adam's Rib(1923)
十誡 The Ten Commandments(1923)
勝利者 Triumph(1924)
霊魂の叫び Feet of Clay(1924)
金色の寝床 The Golden Bed(1925)
昨日への道 The Road to Yesterday(1925)
ヴォルガの船唄 The Volga Boatman(1926)
キング・オブ・キングス The King of Kings(1927)
破戒 The Godless Girl(1929)
ダイナマイト Dynamite(1929)
マダム・サタン Madam Satan(1930)
スコオ・マン The Squaw Man(1931)
暴君ネロ The Sign of the Cross(1932)
新世紀 This Day and Age(1933)
恐怖の四人 Four Frightened People(1934)
クレオパトラ Cleopatra(1934)
十字軍 The Crusades(1935)
平原児 The Plainsman(1936)
海賊 The Buccaneer(1938)
大平原 Union Pacific(1939)
北西騎馬警官隊 North West Mounted Police(1940)
絶海の嵐 Reap the Wild Wind(1942)
軍医ワッセル大佐 The Story of Dr. Wassell(1944)
征服されざる人々 Unconquered(1947)
サムソンとデリラ Samson and Delilah(1949)
地上最大のショウ The Greatest Show on Earth(1952)
十戒 The Ten Commandments(1956)
アメリカの舞踊家、振付家。ニューヨークに生まれる。映画プロデューサーウィリアム・C・デミルWilliam Churchill De Mille(1878―1955)の娘で、映画監督セシル・B・デミルの姪(めい)。ロンドンに渡り、バレエ・ランベール(現ランベール・ダンス・カンパニー)でチューダーの名作『暗い悲歌』などに出演。帰国後、アメリカン・バレエ・シアターの振付家となり、『フォール・リバー物語』(1948)、『ロデオ』(1950)など、アメリカを主題にしたバレエを上演した。ブロードウェーのミュージカルでも活躍、『オクラホマ!』『ブリガドーン』などを振り付けた。著書に『ダンス・トゥ・ザ・パイパー』Dance to the piper(1952)などがある。
[市川 雅]
『渋沢均・花崎淳訳『あるバレリーナの物語』(1954・緑園書房)』
〈スペクタクルの巨匠〉の名をほしいままにしたアメリカの映画監督,製作者。ブロードウェーの劇作家であり演出家のデービッド・ベラスコの薫陶を受け,1913年に映画界へ入り,第1回監督作品《ザ・スコー・マン》(1913)が成功して以来,もっぱらベラスコの作品を映画化した。第1次世界大戦後のアメリカは享楽的な消費文化の時代を迎えるが,大衆の好みを察知して,《男性と女性》(1919),《何故妻を換へる?》(1920)などの〈風俗映画〉をつくった。しかし,ハリウッドがスキャンダルの都として社会の批判を浴びて自粛が叫ばれると,一転して聖書に題材をもとめた製作費100万ドルを超える超大作《十誡》(1923)をつくり,〈スペクタクル映画〉の〈巨匠〉デミルが誕生する。共和党の熱烈な支持者でもあったデミルは,30年代の後半から第2次大戦にかけて〈開拓精神とデモクラシーの高揚〉と自称する主題の娯楽大作を多くつくった(《大平原》1939,《征服されざる人々》1947,等々)。戦後もスペクタクル史劇のブームをよみがえらせた大作《サムソンとデリラ》(1949),サーカスの世界を一大スペクタクル絵巻に仕上げた《地上最大のショウ》(1952)などのヒット作を放ち,カラーで再映画化された《十戒》(1956)が最後の作品でありヒット作となった。ハリウッドはデミルとともに一つの時代を終えたといわれ,デミルその人が〈地上最大のショウ〉であったと評されている。
執筆者:柏倉 昌美
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…1949年製作のアメリカ映画。《暴君ネロ》(1932),《クレオパトラ》(1934)に続いてセシル・B.デミル監督が1935年に企画した古代史劇で,戦後,1948年になってV.ヤボチンスキーの《士師と愚者》を原作にして〈ドラマ〉を組み立てた。当時76歳のA.ズーカー社長をはじめパラマウントの幹部は,イスラエルの士師サムソンが愛人デリラに欺かれてペリシテ人の手に渡るという旧約聖書の伝説を〈冷戦〉の幻滅の時代に映画化することに消極的であったが,デミルは大男サムソンに扮したビクター・マチュアと妖艶な美女デリラに扮したへディ・ラマールの〈肉体美〉を売物に,華麗な色彩によるスペクタクル大作として完成した。…
…日本公開時のタイトルは《十誡》。セシル・B.デミル監督の最初のスペクタクル史劇。1920年代のハリウッドで社会の批判にこたえる自主規制が叫ばれたとき,それまで《男性と女性》(1919),《何故妻を換へる?》(1920),《禁男の果実》(1921)等々,その批判の対象である性風俗の乱れを描いた作品を次々と送り出していた当人のデミルは,それらの風俗劇と縁を切り,聖書を題材とした大作をつくることで批判の矛先をかわした。…
…とくに後者はイタリアのサイレント映画の頂点を示す作品であり,著名な詩人,小説家,劇作家,軍人であったダンヌンツィオが荘重華麗な文学的字幕を書いたことでも知られ,スペイン出身の名カメラマン,セグンド・デ・チョーモン(1871‐1929)の移動撮影や,のちにハリウッドで〈レンブラント・ライティング〉と名づけられた人工光線による下からの仰角(あおり)ぎみの照明といった革新的な技術が各国の映画に大きな影響をあたえ,アメリカのD.W.グリフィスは《カビリア》のプリントを1本手にいれてつぶさに研究し,アメリカ最初のスペクタクル映画《国民の創生》(1915)と《イントレランス》(1916)をつくった。 スペクタクル映画はグリフィス以来,ハリウッドのお家芸になって今日まで続いているが,全映画史を通じてその最大の推進者となったのが〈スペクタクルの巨匠〉の名をほしいままにしたセシル・B.デミル監督である(他方,フランスにはほとんど狂い咲きのように大スペクタクル映画をめざしたアベル・ガンス監督の孤高の存在がある)。1920年代には西部の開拓者たちを描いた《幌馬車》(1923),聖書に取材したデミル監督《十誡》(1923),古代ローマの歴史を描いた《ベン・ハー》(1926),キリストの生涯を描いたデミル監督《キング・オブ・キングス》(1927),第1次世界大戦における空中戦を描いた《つばさ》(1927)などがスペクタクル映画としてつくられた。…
…シカゴに生まれ,14歳でシカゴのエッサネイ撮影所にエキストラとして雇われ,17歳でハリウッドに赴き,マック・セネットの短編どたばた喜劇に出演(〈水着美人〉の一人であった)。19歳のとき,パラマウントで第1次世界大戦後の時代にふさわしい新しいヒロインを演ずる女優をもとめていたセシル・B.デミル監督に認められて,《夫を換ゆる勿れ》《連理の枝》《男性と女性》(ともに1919),《何故妻を換へる?》(1920)などの〈ベッドルーム・ファース(寝室喜劇)〉や風俗メロドラマに主演し,26年には週給が空前の2万ドルと噂された大スターになった。26年独立し,〈フィルム・ブッキング・オフィス・オブ・アメリカ(FBO)〉のJ.P.ケネディ(J.F.ケネディ大統領の父)の公私にわたる援助で〈グロリア・スワンソン・プロダクションズ〉を設立,ユナイテッド・アーチスツと契約して製作をはじめたが,エーリヒ・フォン・シュトロハイム監督が80万ドルを費やして中断せざるを得なかった《ケリー女王》(1928)で挫折(未公開に終わる)。…
…1939年製作のアメリカ映画。スペクタクル映画の巨匠セシル・B.デミル監督の西部劇で,ジョン・フォード監督《アイアン・ホース》(1924)に次いで大陸横断鉄道建設を主題にした大作。1930年代後期のアメリカでは国民精神の鼓舞を意図した伝記映画が流行したが,デミルは西部開拓史の伝説的ヒーロー,ワイルド・ビル・ヒコックを主人公にした《平原児》(1937)につづいて,開拓時代の苦難を克服する建国精神を謳歌したこの作品をつくり,ユニオン・パシフィック鉄道の社長W.ジェファーズの全面的な協力をえて,徹底的な資料調査にもとづいてシナリオを書き上げた。…
…1919年製作のセシル・B.デミル監督のアメリカ映画。第1次世界大戦直後のアメリカ女性の性風俗をもっとも大胆にエロティックに描いて,ハリウッド史上類のない物議をかもし,〈デミル伝説〉を生んだ風俗映画。…
※「デミル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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