セシル(英語表記)William Cecil

改訂新版 世界大百科事典 「セシル」の意味・わかりやすい解説

セシル
William Cecil
生没年:1520-98

イギリス政治家。ケンブリッジ大学卒。1547年民事訴訟裁判所書記を振出しに,国会議員,エドワード6世時代には摂政サマセット公の秘書。公の失脚とともに一時ロンドン塔に幽閉されたが,50-53年返り咲き,51年騎士の位を受ける。続くメアリー女王治下のカトリック反動にも巧みに身をかわして事なきをえた。58年エリザベス女王の即位とともに,72年まで秘書長官,老練な政治家として内政・外交にこの時代の政策を方向づけた。また宮廷政治では大派閥の領袖として,〈セシル王国〉の名をほしいままにした。それ故に敵対者も多く,女王治世前期におけるレスター伯,後期におけるエセックス伯との確執は有名。59年ケンブリッジ大学総長,61年後見裁判所長官,71年バーリー男爵となり,最晩年は財務長官。また政界きっての有力者として女王の継嗣問題を解決した。息子ロバート・セシルRobert Cecil(1563?-1612)も父に劣らぬ権勢を張った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セシル」の意味・わかりやすい解説

セシル
Cecil, William, 1st Baron Burghley

[生]1520.9.13. リンカーンシャーボーン
[没]1598.8.4. ロンドン
イギリスの政治家。女王エリザベス1世の最大の功臣。セシル家事実上の家祖。小ジェントリーの出身。ケンブリッジ大学と法学院に学び,1547年以降下院議員,摂政サマセット (公)の秘書になったがその失脚により一時投獄された。 50年ノーサンバーランド (公)に認められ,国務大臣。メアリー1世治世には再び官を追われたが,58年エリザベス1世の即位とともに首席大臣に任じられ,71年にはバーリー男爵に叙爵,翌年大蔵総裁となった。旧教徒と清教徒の攻撃に対抗し,中道をとってアングリカン・チャーチを確立させ,メアリー・スチュアートを擁立しようとするたびたびの陰謀をくじき,スペイン無敵艦隊の襲撃に対処するなど,40年間よく女王に仕えた。

セシル
Cecil of Chelwood,(Edgar Algernon) Robert Gascoyne-Cecil, 1st Viscount

[生]1864.9.14. ロンドン
[没]1958.11.24. ケント,タンブリッジウェルズ
イギリスの政治家。第3代ソールズベリ侯爵の3男。イートン校を経てオックスフォード大学卒業。 1906年保守党下院議員。第1次世界大戦中は統一党 (保守党が改称) の指導者。 15~18年外相代理兼封鎖担当相,19年のパリ講和会議では前外相 E.グレー,南ア連邦の J.C.スマッツ首相とともに国際連盟規約の草案を作成,20年国際連盟の第1回総会には南ア連邦代表として出席した。 23年 S.ボールドウィン内閣の国璽尚書,24~27年ランカスター公領相。 26~27年ジュネーブ軍縮会議のイギリス首席代表をつとめた。国際連盟の熱心な支持者で,37年ノーベル平和賞を受賞。

セシル
Cecil, Lord (Edward Christian) David

[生]1902.4.9. ロンドン
[没]1986.1.1. クランボーン
イギリスの批評家。侯爵家に生れ,オックスフォード大学卒業。 1948~70年同大学英文学教授。処女作『撃たれた鹿』 The Stricken Deer (1929) は,18世紀の詩人 W.クーパーの評伝で,名著として世評が高かった。その他『初期ビクトリア朝小説家論』 Early Victorian Novelists (34) ,『ジェーン・オースティン』 Jane Austen (35) ,『小説家ハーディ』 Hardy,the Novelist (43) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セシル」の意味・わかりやすい解説

セシル(Lord Burghley, William Cecil)
せしる
Lord Burghley, William Cecil
(1520―1598)

イギリスの政治家。ジェントリの家柄に生まれ、法律家となりヘンリー8世の宮廷に入る。メアリーの治世に一時失脚したが、1558年エリザベス1世の即位とともに国務大臣となり、終生女王の助言役を務めた。ことに1571年バーリー卿(きょう)として貴族に列せられ、翌1572年には大蔵卿となって、イングランドの国益とプロテスタンティズムを擁護する現実的で穏健な政策を女王に勧めた。ことにメアリー・スチュアートの処刑、スペインのアルマダ(無敵艦隊)の襲来に際しての彼の冷静な処置は、国際政局におけるイギリスの地位の向上に貢献した。なお次男のロバート(ソールズベリー伯)が父の政策を継ぎ、宮廷内に権勢を示して「セシル王国」を形成した。

[今井 宏]


セシル(1st Viscount Cecil of Chelwood, Edgar Algernon Robert Cecil)
せしる
1st Viscount Cecil of Chelwood, Edgar Algernon Robert Cecil
(1864―1958)

イギリスの政治家。第3代ソールズベリー侯の三男として生まれ、オックスフォード大学で学んだ。1906年、保守党下院議員として政界入りし、第一次世界大戦中は外務次官を務めた。1920年代には、保守党内閣で国璽尚書(こくじしょうしょ)やランカスター公領相に就任したが、その精力はもっぱら平和維持機構としての国際連盟の強化に注がれた。それに対し、1937年にはノーベル平和賞を授けられた。

[木畑洋一]


セシル(Lord Edward Christian David Gascoyn Cecil)
せしる
Lord Edward Christian David Gascoyn Cecil
(1902―1986)

イギリスの学者、批評家。名門貴族の家に生まれる。オックスフォード大学卒業後、母校教授となる。学究的な緻密(ちみつ)さ、温雅で繊細な感受性と美しい文体をもつ、最良の意味における伝統的な批評家。ウィリアム・クーパーの評伝『傷ついた鹿(しか)』(1929)をはじめ『マックス』(ビアボーム伝、1964)などの評伝、『ビクトリア朝初期の小説家たち』(1934)、『ジェイン・オースティンの肖像』(1978)などの批評がある。1986年1月1日没。

[出淵 博]

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百科事典マイペディア 「セシル」の意味・わかりやすい解説

セシル

英国の政治家。ジェントリーの出身。エドワード6世の下で登用され,一時官を追われたが,1558年エリザベス1世即位とともに国務大臣,1571年バーリー男爵として貴族に列せられ,1572年以降大蔵総裁として事実上の首相を務めた。内政の整備,英国の国際的地位の向上などの点で,エリザベスが最も信頼する側近として40年間女王に仕えた。
→関連項目キャムデン

セシル

英国の政治家。第1次大戦中は外務政務次官。戦後は国際連盟の創設と発展に貢献。ジュネーブ軍縮委員会首席代表。1937年ノーベル平和賞。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セシル」の解説

セシル(エドガー)
Edgar Algernon Robert Cecil, 1st Viscount Cecil of Chelwood

1864~1958

イギリスの政治家。第一次世界大戦中に外務政務次官,封鎖相。パリ講和会議に列席し国際連盟規約起草に参加。ジュネーヴ軍縮会議の首席代表。1923年子爵に叙せられ,37年ノーベル平和賞を受けた。


セシル(ウィリアム)
William Cecil, Baron Burghley

1520~98

イングランドの政治家,エリザベス1世の最も信頼した側近。ジェントリの出身。エドワード6世のときに任官したが,エリザベスの即位とともに国務卿となり,男爵に叙せられ,1572年からは終生,大蔵卿として内政,外交を指導した。

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デジタル大辞泉プラス 「セシル」の解説

セシル

日本のポピュラー音楽。歌はタレントの浅香唯。1988年発売。作詞:麻生圭子、作曲:NOBODY。

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367日誕生日大事典 「セシル」の解説

セシル

生年月日:1563年6月1日
イギリスの政治家
1612年没

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世界大百科事典(旧版)内のセシルの言及

【コンスタン】より

…やがて許されて帰国し,1819年代議士に選ばれ,その後は自由主義派の政治家として活躍,30年七月革命に際してはルイ・フィリップの王政成立に協力し,参事院立法部長に任じられるが,同年末没した。第2次大戦後発見された《セシルCécile》(1951)は,2人目の妻となったシャルロット・ド・アルダンベールをモデルにし,彼女と知り合ったのちもスタール夫人との関係を断ち切れず,結婚の決意をするまでに15年も要した経緯を忠実にたどった自伝小説である。他に未完の《宗教論》(1824‐30),多くの政治論,日記等がある。…

※「セシル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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