デュモン・デュルビル
Dumont d'Urville, Jules Sébastien César
[生]1790.5.23. コンデシュルノアロー
[没]1842.5.8. ムードン近郊
フランスの海洋探検家。特に南太平洋 (1826~29) と南極地方 (37~40) への探検で著名。 1822年世界一周遠征に参加,26年南太平洋の諸島を歴訪。それまでの地図を大幅に修正すると同時に,その地域の群島をメラネシア,ミクロネシア,マレーシア,ポリネシアと再命名した。南極地方探検では,ジョインビル島とルイフィリップ岬 (37) ,アデリー海岸 (40) を発見。帰国の翌年,妻子とともに鉄道事故で死去した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「デュモン・デュルビル」の意味・わかりやすい解説
デュモン・デュルビル
フランスの航海家。1819年―1820年東地中海を調査中に出土した〈ミロのビーナス〉像の重要性を主張,その保存に尽力。1826年―1829年探検家ラ・ペルーズを捜索しながら世界一周航海,1837年―1840年に第2回の世界周航を行った。
→関連項目南極大陸
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のデュモン・デュルビルの言及
【ウィルクス・ランド】より
…東経136~142゜のテール・アデリーTérre Adélie(アデリー・コースト)をフランスが領土権を主張し,他はオーストラリアが領土権を主張している。沿岸に露岩地域は少なく,1981年現在ケーシーCasey(南緯66.3゜,東経110.5゜,オーストラリア),デュモン・デュルビルDumont d’Urville(南緯66.6゜,東経140゜,フランス)の両越冬基地がある。ここから内陸部へかけての調査はあまり多くない。…
※「デュモン・デュルビル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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