ビーナス(読み)びーなす(英語表記)Venus

翻訳|Venus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビーナス」の意味・わかりやすい解説

ビーナス
びーなす
Venus

ギリシア神話女神アフロディテAphroditeがローマ神話のウェヌスVenusと同一視され、それが英語に移されたもの。古来から美しい女性の象徴として絵画や彫刻の主題に多く取り上げられてきている。

[前田正明]

彫刻

もともと豊饒(ほうじょう)と再生という原始信仰に基づく小アジア系の大地母神イシュタルアシュタルテの影響から生まれ、ギリシア各地に伝播(でんぱ)され信仰された女神である。したがって、キクラデスの偶像やキプロス出土のきわめて初期の像では、女神のほとんどすべてが、胸部と下腹部を誇張した、全裸の姿で表されている。しかし、紀元前7世紀後半から前6世紀末にわたるギリシア美術のアルカイック期においては、イオニア風のキトンをまとい、片手に女神の象徴的持ち物であるハトやリンゴを持つつつましい姿に変わる。この着衣と裸体の二つの相異なる表現は、女神の特性を跡づけ、その変遷を理解するうえで興味深い問題である。プラトンが『饗宴(きょうえん)』のなかで女神の具有する特性を「ウラニア」(天上的な)と「パンデモス」(地上的な)とに分けているように、ビーナスは一方において清楚高邁(せいそこうまい)な天上の女神でありながら、他方では官能的な愛欲の女神である。有名なルドビージの玉座の正面浮彫りは『アフロディテ・アナデュオメネ』(海から出るアフロディテ)を表し、その両側面に、ベールで身を包み香をたくつつましい女神の姿と、全裸で楽しげに笛を吹く悦楽の女神の姿が刻まれている。

 古典前期の前5世紀には、女神は他の神々と同様、高貴な精神に貫かれた厳正な姿で表されたが、この世紀の末には、薄い衣を透かして女神の肉体の美しさを表現した、いわゆる『ウェヌス・ゲネトリクス』(豊饒の女神)の像が制作された。女神を天上的な神性から地上的な美のなかに表現した最初の彫刻家は、前4世紀(古典後期)の巨匠プラクシテレスである。彼の有名な『クニドスのアフロディテ』は、女神を全裸の姿で表現した最初の傑作で、ここにおいて女神は人間感情の対象となり、その優美な姿は以後のビーナス像の原型とされた。さらにヘレニスティック期に至るとしだいに地上的・現実的となり、ドイダルセスDoidalsesの『うずくまるビーナス』や、水に映る自分の後ろ姿に見入る作者不詳の『美しい尻(しり)のビーナス』などが制作された。ビーナス像は官能の悦(よろこ)びに酔う自由奔放な姿態となり、ついには男女両性(ヘルメスとアフロディテ)を具有したヘルマフロディトスHermaphroditosの像が制作されるに至った。また、これらの極端な官能美の追求に対し、古典様式への復帰の機運が高まり、『ミロのビーナス』や『メディチのビーナス』が制作されるなど、この時代はビーナス像において美術史上まれにみる多様な発展を示した。ローマ時代のビーナス像は、このヘレニスティック期の様式を踏襲発展させたものである。

[前田正明]

絵画

ビーナスを描いたギリシア絵画の原作は残存せず、ポンペイその他から出土したローマ時代の絵画中に若干みいだされるにすぎないが、絵画にみられる女神像も、初期の時代には、おそらく彫刻と同様な発展を示したと推定される。たとえば、前4世紀のものとされる鏡箱の蓋(ふた)(ロンドン、大英博物館)に線刻された牧神パンと遊ぶアフロディテは、上半身の衣を脱ぎ豊かな胸部をあらわにしているし、ポンペイ出土のフレスコでは全裸で表されている。女神を全裸の美しい姿で表すという表現形式は、ヘレニスティック期以後しだいに一般化し、ローマ時代はもちろん、禁欲的な中世キリスト教世界においても「創世記」のイブなどの像を通して受け継がれていた。

 古代復興の機運が高まった14、5世紀になると、女神はかつてヘレニスティック期の彫刻にみられたように、ルネサンス絵画のなかにふたたびその優美と官能の姿を発展させた。ボッティチェッリの名作『ビーナスの誕生』(フィレンツェウフィツィ美術館)はアフロス(海の泡)から生まれた女神が貝に乗って西風に送られてキプロス島に運ばれ、そこでホーラ(季節の女神)によって美しく装われて神々の座に導かれたという誕生譚(たん)を描いている。中央に立つ女神は清純な処女の美しさを思わせるが、このポーズはフィレンツェのメディチ家に伝わるビーナス、すなわちヘレニスティック期のいわゆる「ウェヌス・プディカ」(恥じらうビーナス)型を示している。これに対し、港湾商業都市として繁栄したベネチアでは現実生活へのあこがれがいっそう強く、女神は官能美の対象として表現された。たとえばジョルジョーネは『眠れるビーナス』で自然の大気の中で花のような肉体を画面いっぱいに横たえた姿を描き、ティツィアーノは『ウルビーノのビーナス』や『ビーナスとキューピッド』などで豊満な肉体をベッドに横たえる姿のビーナスを多く描いている。このような傾向は時代が進むにつれていっそう顕著になっている。

[前田正明]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビーナス」の意味・わかりやすい解説

ビーナス[メディチ]
Venere de' Medici

メディチ家旧蔵のアフロディテ像 (フィレンツェ,ウフィツィ美術館) 。ヘレニズム時代の原作のローマ時代模刻 (大理石,高さ 1.53m) 。台座にアポロドロスの子クレオメネスの銘があるが,これは今日認められていない。ギリシアの彫刻家プラクシテレスの『クニドスのアフロディテ』の系統をひく作品。

ビーナス


ビーナス[アルル]
Vénus d'Arles

南フランス,アルル出土のビーナス像。前4世紀のギリシアの彫刻家プラクシテレスの『テスピアイのアフロディテ』をローマ時代に模刻した像とされている。原作は前 360年頃。ルーブル美術館蔵。

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