デンマーク王立バレエ団(読み)でんまーくおうりつばれえだん(英語表記)The Royal Danish Ballet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デンマーク王立バレエ団」の意味・わかりやすい解説

デンマーク王立バレエ団
でんまーくおうりつばれえだん
The Royal Danish Ballet

デンマークバレエ団。その歴史は古く、1748年にコペンハーゲンの王立劇場開場とともに発足した。1829年にオーギュスト・ブルノンビルがバレエ・マスターとなって以降の半世紀に、パリ・オペラ座に匹敵するほど有名なバレエ団となり、ロマンチック・バレエ『ラ・シルフィード』『ナポリ』などを上演した。この伝統は、1932年から51年のハラルド・ランダーHarald Lander(1905―71)の時代にも受け継がれ、ブルノンビルの作品は世界各国のバレエ団のレパートリーに加えられ、ランダー自身も『エチュード』を振り付けた。その後も、エリック・ブリューンEric Bruhn(1928―86)、ピーター・マーチンスPeter Martins(1946― )、ペーター・シャウフスPeter Schaufuss(1949― )、フレミング・フリントFlemming Flindt(1936― )など世界のバレエ団で活躍する男性ダンサーを輩出している。女性ダンサーにはオーゼ・ガッドゥRose Gad(1968― )やシリア・シャンドーフSilja Schandorff(1969― )らがいる。芸術監督はフランク・アンデルセンFrank Andersen(1953― )、シャウフスら。

市川 雅・國吉和子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デンマーク王立バレエ団」の意味・わかりやすい解説

デンマーク王立バレエ団
デンマークおうりつバレエだん
Royal Danish Ballet

1748年にデンマーク王立劇場が建設されるとともに,その専属として設立されたバレエ団。イタリアから V.ガレオッティを招きボルテールやシェークスピア作品を上演し,92年にはアントアーヌ・ブールノンビルを迎えて基礎を固めた。 1829~77年,アントアーヌの息子 A.ブールノンビルがバレエ・マスターになるに及んで最盛期を迎えたがその後は次第に衰退。 1932年 H.ランダーの登場とともに A.ブールノンビルの『ナポリ』などが復活上演され,『エチュード』などのランダー自身の作品も上演されて,再び活況を呈するにいたった。 V.ボルコワが教師として就任したあと,ロシア派の技術を多く取入れ,ブールノンビル一辺倒から抜け出したとして国際的な評価を得,E.ブルーン,P.マーティンスら世界的な男性舞踊手を輩出。 79年からは F.アンデルセンが芸術監督に迎えられている。本拠とするコペンハーゲン王立劇場のプロセニアムアーチには「楽しみのためならず」という言葉が刻まれており,このバレエ団の公演主旨を示している。

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