改訂新版 世界大百科事典 「ロマンティックバレエ」の意味・わかりやすい解説
ロマンティック・バレエ
romantic ballet
19世紀初頭に,文学,音楽,絵画などの主流をなしたロマン主義の影響を強く受けたバレエ史における一時期およびその時代のバレエ作品をいう。狭義には1830-50年をいうが,プレ・ロマンティックおよびポスト・ロマンティックといわれる時代も含めて1820-70年とすることもある。バレエ史では芸術史一般にみられる古典主義からロマン主義へという時代様式の流れとは異なり,17世紀後半に現在用いられているバレエ(正確には古典舞踊)の技法の基礎がおかれたときから20世紀初めまでをクラシック・バレエの時代といい,古典舞踊の技法に準拠する作品を同様に定義することがある。この場合はロマンティック・バレエはクラシック・バレエの中の一時期をさす名称となる。一方,1895年につくられた《白鳥の湖》のように,制作年代にかかわらずその時期のバレエの特色をそなえた作品をロマンティック・バレエと呼ぶこともある。
一般にはロマンティック・バレエはマイヤーベーアのオペラ《悪魔のロベール》(1831)のバレエ場面から始まり,《ラ・シルフィード》(1832),《ジゼル》(1841)を代表作とし,《パキータ》(1846),《オザイ》(1847)の上演時期をもって終りを告げるとされる。作品の特徴は幻想の世界を描いたものと,異国情緒を強調したものの2種がある。その表現には1820年代に始まったと推定されるポアント(つま先で立つこと)の技法が多く採り入れられた。ポアントの技法は幻想の世界を表現することに最適であり,この時期に技術的にも大きな発展をとげた。また現在のバレエがもつ古典舞踊の体系はほとんどこの時代に完成されたといってよい。衣装にも大きな変化がみられ,薄い布を重ねた釣鐘型のスカートがあらわれて,幻想的バレエの主役である妖精の姿を強調した。これを最初に用いたのは《ラ・シルフィード》といわれるが異説も多い。照明にガス灯が用いられるようになったこと,踊り手を空中に浮遊させる機械装置が発達したことも,ロマンティック・バレエの発展に貢献した。タリオーニ,グリジは幻想の世界を踊って比類のない踊り手であった。2人の盛名のために忘れられがちだが,この時期のバレエにはもう一つのジャンルがあった。民族舞踊を織り込んで異国情緒を表現した作品群で,《ラ・ジプシー》(1839),《ラ・エスメラルダ》(1844)などの代表作があり,エルスラーがその代表的舞姫である。
ロマンティック・バレエは最初パリを中心に隆盛するが,これには詩人T.ゴーティエの力によるところが大きい。ゴーティエはあらゆる機会をとらえてバレエ,特に舞姫の美しさを称揚し,みずから《ジゼル》の台本を書き下ろすなど,バレエのロマン主義的傾向を強めた。だが舞姫に傾倒するあまりバレエにおける男性舞踊手の役割の大きさを軽視し,のちにフランス・バレエの衰退する遠因をつくった。ロマンティック・バレエはそうした欠点も含んでいたが,バレエ史上の一つの黄金期を築き,その作品はヨーロッパ全土およびアメリカからオーストラリアまで上演され,特にロシア,デンマークではその国のバレエの発展に大きく寄与した。
執筆者:薄井 憲二
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