日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥハチェフスキー」の意味・わかりやすい解説
トゥハチェフスキー
とぅはちぇふすきー
Михаил Николаевич Тухачевский/Mihail Nikolaevich Tuhachevskiy
(1893―1937)
ソ連の軍人、元帥。スモレンスク県の貴族の家庭に生まれ、1914年士官学校を卒業。第一次世界大戦に将校として参加し、十月革命直後の18年4月、創設まもない赤軍に入隊し、同時に共産党に入党。内戦が開始されると、最初に主戦場となった東部戦線で第一軍を指揮、その後も次々と危険な戦線に投入され、帝政軍人出身の赤軍指揮官として活躍した。対ポーランド戦争(1920)やクロンシュタット軍港反乱(1921)鎮圧の指揮官としても有名。内戦終結後、その経験を赤軍の戦術に応用しようとして、国際参謀本部の設置や戦術における機動性の導入などを主張した。士官学校校長を経て、赤軍参謀長(1925~28)、レニングラード軍管区総司令官(1928~31)。31年より陸海軍人民委員代理兼赤軍装備部長として軍の近代化を図り、34年国防人民委員代理、36年同第一代理。35年には元帥の復活に伴って任命された5人の元帥の1人となる。しかし、37年、突然ドイツ軍のスパイであったとして、他の7人の将軍とともに反逆罪で銃殺、以後の軍部大粛清の発端となった。のちに名誉回復された。
[藤本和貴夫]